今朝の山形新聞、内田樹氏の「直言」に注目。

①日教組の先生と議論したことがあるが、行き着くところは、「国家が大事」か「国境なんて関係ない〈市民社会〉こそ」の対立だった。→「追悼 菅 弘先生 (元山形県高教組委員長)」https://oshosina.blog.ss-blog.jp/2013-10-11 内田氏も、これまでのサヨク感覚を改めざるをえなくなったようだ。

《家が崩れると骨組があらわになるように、激震的事態に遭遇すると制度の骨格が剥き出しになる。パンデミックはグローバル資本主義の脆弱性をあらわにした。/グローバル資本主義というのは、人・モノ・資本・情報が国境線を越えて、高速で移動するシステムである。だが、感染症の蔓延によって、電磁パルス以外のものはいきなり国境線を越えられなくなった。国民国家の国境線というような政治幻想はグローバル化の進行でいずれ有名無実化するのかと思っていたが、コロナ禍のせいで、国境線が人とモノの移動を制限する圧倒的な物理的実力を持っていることを再確認した。》