「選挙戦」は終わった。事務所に詰めて一切を仕切らねばならない竹さんには長い一週間だったようだが、選挙カーに乗って走り回る方にとっては、あっという間だった。
ずっと最中で思い続けてきたこと。思い立つのは一人だが、届出に至るまでは一人ではできない。そして選挙戦を戦うにはとんでもない多くの力の結集が必要だ。選挙はひとりではできない、ということを心底から痛感させられた。あたりまえのことなのになぜそれを「痛感」することになったかというと、全くゼロベースでの出発だったからだと思う。だから、その経緯について包みなく語れる。たしかに、粡町の方々に集まっていただいた
19日の会合、「事実」という塊から「言葉」を紡ぎ出す快さを感じながら語っていた。
とりあえず「こうしなければならない」という既成概念が取っ払われていた。しかししなければならないことはしなければならない。選挙カーも、選挙ハガキも「前以て」ではなく、選挙戦がスタートしてからの段取りだった。それで迷惑かけてしまったことも多い。竹さん、選管から「高岡さんのやりかたはいつもそうなんですかっ!」と憤慨されたという。本人としては「そうなんです」と言う他ない。私を知る人はみんな知っているが、自慢できることではない。家内にはいつも嘆かれている。染物屋の習性なのだろう。納期から数えて仕事を段取る。それで間に合わなかったことがないのでついいつもそうなる。
昨日、終了15分前の7時45分から事務所前で、選挙戦を振り返っての報告とお礼を述べさせていただいた。「自分の選挙は今回で4度目になるが、こんなに終始ニコニコしていられる選挙は初めてのことだった」と言った。とにかく、17人の届出が終わった後、18番目に届出たことで選挙戦になった、そのこと自体の評価がすごかったのだ。知らない人からは声をかけられ、車の中からは手を振られる、知り合いに会えば思わずハグ、「がんばったなあ」「うん、がんばった」。出馬までの「がんばり」がただそれだけで評価されたのだ。ただし、これがどう票につながるかどうかは全く未知数。それはそれ、選挙は見えないところでの支持拡大の努力が根底にあってのことということも、ゼロベースでの出発であればこそつくづく思い知らされた。あたりまえのことなのだが、そのことをこんなにありがたく思えた選挙もない。自分も含めてだれかひとり当選できない人が出ることになるが、ひとまずここまでは、ほんとうに思いがけないほどの多くの方々に支えられて「気持ちのいい選挙戦」で終えることができました。あとは結果を待たねばなりません。まもなく投票が始まります。どうかよろしくお願い申し上げます。
最終日にひたすら訴えたことは「若い人のための地ならしをさせて下さい!」でした。4年後の選挙は全く考えていません。選挙を考えずに言うべきこと、言いたいことを言いつづけるつもりです。4年後の市議選には若い人の多くが名乗りを上げてくれることを夢見ています。
5回の街頭演説をyoutubeでご覧いただけます。