わが家に伝わる「年代記」が東北芸術大学・古文書調査会によって翻刻され、B5判110ページの立派な冊子となって、昨日(25日)届けていただいた。出来上がってきて、ほんとうに驚きと感激だ。来年の年賀状、没後150年の雲井龍雄で24日の夜に発注完了していたのだが、急遽この「年代記」にすることにして差し替えた。

粡町は何度も火災に遭っている。しかしわが家には二つの蔵があって、消失を免れた物が少し残っている。「少し」というのは、昭和の初め、家から出た縁者の保証で土地も物もかなり手放し、以来祖父の代、ぎりぎりで生き抜いてきた。その「少し」の中のひとつが「年代記」だった。そもそも金に替えれるものでもない。

東日本大震災の8年前、東北芸工大の竹原万雄(かずお)という日本史を研究する若い先生が訪ねて来られた。たしか南陽市出身の小関悠一郎先生と一緒だった。「東日本大震災で多くの貴重な古文書を失った。なんとか古文書を散逸、消失から守りたい」とのことだった。南陽市史史料編纂室の須崎寛治先生からの紹介のはずだ。その時お見せしたのが「年代記」だった。

私からすれば「雑多な記録」だった。その時々の「あったこと」「知ったこと」なんでも詰め込んだもので、考えてみるとこの「移ろうままに」もそんなものなわけで、私に流れる先祖の血を思わされるが、受け取りようによってはたしかに貴重な面もあったのだということが、竹原先生の解説、その翻刻の内容を読んであらためて思わされているところです。いずれネットでアクセスできる様にしたいと思います。この8年間、何回も通って来られてここまで仕上げられた竹原先生にほんとうに感謝です。まさかここまでこうなるとは思ってもいませんでした。