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11月28日の山形新聞、高橋義夫さんの「盛り場を歩く」は宮内だった。高橋氏にとって小田仁二郎は早稲田仏文の大先輩とのこと。そして《宮内は町全体が盛り場遺産である。》と書く。大正8年の「宮内町案内」を見てくれていた。《「商売軒を並べ整然たる街路にして富有者多し」と書かれている。いま歩いても、いかにも富裕者の居宅と思われる構えの家が見受けられる。》しかし、高橋氏が見た「富裕者の居宅」、石黒本家も山栄酒造店も、今は主はいない。そのあとがおもしろい。《わたしが宮内を初めて訪れたのは40年近い昔だが、新町の喜多屋という古い旅館に泊まった。夕食のとき、年配の仲居が給仕に来て話し込み、お銚子の酒を半分のんでいったことを思い出した。》「喜多屋の仲居」といえば「 Kちゃ」で当時50歳ぐらいか、今も健在。会うと昔のまんまで元気がいい。当時喜多屋を切り盛りしていた女将は、寂聴さんが小田仁二郎を偲んで初めて宮内を訪れたとき、大銀杏の下で寂聴さんに声をかけたばあちゃんだ。そのおかげで寂聴さんと宮内との縁がつながった。昭和56年がその年とすると、ちょうど高橋氏が喜多屋に泊まった頃だ。