半年ぐらい前だったか、市民大学運営委員会で佐藤庄一会長から、山形県地域史研究協議会の分科会に出て話すように依頼されて、その会が何かも分からぬまま引き受けていたのだが、その会が昨日(4日)あった。与えられたテーマは「製糸業隆盛の遺産ー漆山多勢家を中心にー」で20分程度、3年前の市民大学で語った内容から抽出した資料をバタバタ用意した。


参加してみて、日頃の研究成果をまとめて報告する歴史研究者のハイレベルな会であったことにはじめて気付かされた。発表時間が20分で質疑の時間が10分という短さの理由もそれで理解できた。毎年「地域史研究」なる立派な冊子が発行されていて、それに研究成果を発表するのが目的であり、その要約を述べる会がこの日の趣旨であったのだ。それがわかっていれば別の言い方があったのだが、終わったからもうしょうがない。錚々たる県内歴史研究家の前で、「私は歴史研究者ではなくて、ただ、地元の歴史を若い人に伝えておきたい、その気持ちでやっている。」と語り始めたのだが、場違いだったかもしれない。なんの質問も出なかった。停学体験も共にした、高校以来のごく親しい友人の気安さで軽く引き受けたのが悪かった。どういう趣旨の会なのかよく聞いておくべきだったと深く後悔。考えてみれば、県考古学会の会長という重鎮からの依頼だったのだ。