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- 宮内
ここを読んでうれしかったのが、ふさ子を面くらわせた子供の様なしぐさ。黒江太郎の体験を思った。昭和22年、茂吉が宮内での歌会に来て黒江宅に泊まった時のこと、《先生は目をつむって、『いい歌作ったす。「道のべに蓖麻(ヒマ)の花咲きたりしこと何か罪深き感じのごとく」、どうだ、「何か罪ふかき感じのごとく」はいいだらう。それからこんな歌も作った。「少年の心は清く何事もいやいやながら為ることぞなき」、何事もだぞ。「いやいやながら」はいいだろう。こんなあたりまへの事だって、苦労して苦労して作ったものだ。苦労した歌はいい。』と仰言った。『おれは天下の茂吉だからな。』、先生は一段と身をそらして、恰も殿さまのやうに両肱を左右に張って見得をきった。》愛嬌としてそうするのでなく、そのとき本気なのが、私にとっての茂吉の茂吉たるゆえん。茂吉が「親しい人」になる。茂吉は、永井ふさ子に対してのように、黒江太郎に対してもすっかり心をゆるしていた。
祖父の従兄弟が上山で旅館をしていて子供の頃いつも祖父に連れられて行ったが、その旅館(大木又八旅館)と茂吉の弟が婿に入った山城屋旅館が縁戚だったかで、子供心に茂吉のことが親しく話されていたのを聞いた記憶がある。「もきっつぁん」という呼び方が私にはいい。