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小田仁二郎と寂聴さん(「米沢日報」元旦号) [小田仁二郎]

米沢日報 小田仁二郎1A4OK.jpg「米沢日報」元旦号に、小田仁二郎と寂聴さんについて書いたのが掲載されました。11月に成澤社長から「元旦号に何か書くことない?」と電話がありました。市民大学で話したことを思い浮かべながら、「鷹山公はどう?亡くなって来年がちょうど200年だし」と答えて電話を切ったのですが、ふと「今書くなら小田仁二郎がタイムリー」と思い直して書いた文章です。12月になっての「小田仁二郎特別展」の解説文にも転用しました。(最終章の井筒俊彦関連は米沢日報のみ)

米沢日報 小田仁二郎横浜港 3.jpg記事が出来上がって「さすが成澤社長!」と思わされたのが、寂聴さんの故郷徳島県の県立文学書道館から掲載許可を得たという貴重な3枚の写真。特に横浜港での二人が手を繋ぐ2ショットは、昭和36年(1961)6月、日ソ婦人懇話会訪ソ使節団として1ヶ月のソ連旅行の写真。《二人の男の中を揺れ動き、次第に音彦から罪の意識をかきたてられていた私はこの一ヶ月の旅で、重苦しい生活から少しでも解放されることに、無意識の期待をかけていた。》(『いずこより』新潮文庫480p)この写真は四角関係の一角音彦(小川文明)が撮ったものではないか。

以下、全文です。

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「小田仁二郎特別展」(山形新聞) [小田仁二郎]

小田仁二郎特別展(山新) 1.jpeg今朝の山形新聞に「小田仁二郎特別展」を紹介していただきました。昨日公民館に行ったら、芳名簿に長野県の方の名前がありました。若いカップルだったそうです。熊野大社参拝の途中、看板を見て立ち寄られたのかどうか。これから新聞を見ておいでいただける方もあると思います。小田仁二郎への関心が広がってほしい。特に宮内の人に読んで欲しくて、仁二郎の一人娘金沢道子さんから了解を得ている「にせあぽりや」の刊行、目の前の忙しさにかまけて先送りになっていましたが、これを機になんとか早急に進めたいと思います。

土日休館日ですが、新聞を見て遠くからおいでの方もおられるので、なんとかご覧いただけるよう対応します。(ただし午前9時半から午後4時半まで)

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小田仁二郎特別展 [小田仁二郎]

入口看板.jpg毎年この時期、宮内公民館(南陽市文化センター)で開催する「宮内よもやま歴史絵巻展」、今年は「小田仁二郎特別展」と銘打つことになりました。昨日準備しているところに、河北町から「小田仁二郎について知りたくて」と来られた方があって喜んで帰られました。小田仁二郎2021.11.29.jpeg11月29日の山形新聞「季節風」を読んだのが思い立つきっかけだったのですが、タイムリーだったようです。寂聴さんに急かされているような思いで進めたところです。寂聴さんにとってほんとうにたいせつな人だったのです。自伝小説「いずこより」の感動的な場面を掲げておきました。
《気がついた時、昔の男(小田仁二郎)の訪れは次第に遠のき、新しい男(木下音彦)が当然のようにそこに居座っていた。「夏の終り」はこんな状況の許で書かれた。出来の結果など、私には考えられなかった。あの複雑な去年の夏の終りを、過去のこととして書くことによって、私の中にいる昔の男(小田)との愛の想い出を剥製にして永遠にとどめておきたかった。「夏の終り」を書いたことによって、私は一応、一年余り投げこまれていた二人の男との愛のもつれから自分をとき放ったと思った。私に作家としての地位を固めさせてくれた小説があるとすれば、それは「夏の終り」であろう。・・・この小説は翌月の文芸時評に、各新聞に取りあげられ、好評を得た後、翌1963年の3月、第2回女流文学賞を佐多稲子さんの「女の宿」と共に受賞した。・・・受賞式の席上、私は場所柄もがまん出来ず、挨拶の途中で、涙につきあげられて絶句した。この貧しい作品にこめられた小田仁二郎との十年にわたる歳月の想い出が私の立っている足をすくいそうになった。私は彼から、小説を書くことを教えられ、認められるチャンスを与えられ、励まされた。何よりも私は彼との生活によって、文学の質の高さとか低さというものを言葉ではなく、皮膚から教えこまれた。女として充実した美しい恋の日々を与えられた。》瀬戸内は、ホールにいる客の中に、来賓として招かれていた小田を探し出す。《壁ぎわで笑っているなつかしい顔があった。「ありがとうございました」私は人が見ていることも忘れて深いお辞儀をしていた。「よかった、ほんとによかった」低い私にしか聞きとれない彼の声を私は吸い込むように聞いた。私は泣いていた。》
◎展示の視点
①寂聴さんとの関わり
②宮内との関わり(『にせあぽりや』・文学碑建立)
③小田文学自体のすごさへの着目(寂聴さんあっての仁二郎ではない!)
③についてはまだまだこれからです。仁二郎の《わからないとは何であるか。わかろうとしないことである。精神の怠惰にすぎないのではないか》の言葉がいつも頭にあります。ようやく時代が仁二郎に追いついた、そんな気がしています。

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