徳田虎雄師を憶う [徳田虎雄]
退院の7月31日まで秒読み。帰ってからのくらしを思う。思い描くのはゆったりした暮らし。もうバタバタから解放されたいと思いつつ、バタバタの源流に徳田さんが在ることに気付いた。結婚して1年後の昭和56年3月、徳田さんと出会って以来、仙台や東京での「獅子の会特別訓練」に仲間と共に何回か参加したのだが、その時示されたのが徳田さんの手帳だった。「月火水木木金金」、365日休みなし、年中無休で突っ走る徳田さんの毎日がわかる手帳だった。毎日のがんばり具合が、ひとつ丸、ふたつ丸、みつ丸、花丸で評価されていた。「あんたらもこれをやれ!」というのだった。何かそれに類したまねごとはやったのかもしれないが、みんな長くは続かなかったようだ。徳田さんのような「怒り、悲しみ、恐怖心」に裏づけられた、実力の100倍の目標の持ち合わせがなかったのだ。ただ、そのようにしてがんばれという徳田さんの訓えが強迫観念となって染みついた。今回の入院を「これまでのくらしをあらためる機会」と考えていたのだが、その途上での徳田さんの訃報だった。
青木理氏の徳田虎雄伝を読んだ。よくまとまっている。氏の著『トラオ 徳田虎雄 不随の病院王』については→https://oshosina.blog.ss-blog.jp/2012-02-29
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