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『源氏物語』がリアルなわけ [源氏物語]

副島隆彦著『自分だけを信じて生きる』について、要するに、カントの言う「即自的物自体」を第一義にする、というとよくわかる。そこでは「対自」も「対他」もないゆえに「評価」とは無縁な世界だ。したがって「自分だけを信じて生きる」世界なのだ。「一心清明」の世界へと通じてゆく。》とレビューした。https://oshosina2.blog.ss-blog.jp/2024-02-02-1 その副島氏の覚悟がただ事ではないことがわかる文章を「今日のぼやき」で読んだ。→「2113」 源氏物語は藤原道長の人生そのものだ論(第3回・全3回) 2024年2月11日 

《大きな真実を探りを入れて、自分の頭であれこれ考えると、明らかになる、いろんな恐ろしい事実が出てくる。『源氏物語』の話に戻すが、私は谷崎潤一郎(たにざきじゅんいちろう、1886-1965年、79歳で死)の新訳全集を買ってきて読んだ。この中の一巻目 に出て来る、桐壺帝(きりつぼてい)と、その最後の愛人の、桐壺(きりつぼ)の更衣(こうい)との間に生まれたのが光源氏だ。この桐壺帝が、3代前の天皇である、村上(むらかみ)天皇であり、桐壺更衣は、芳子(ほうし、よしこ)である。この大きな真実を、私、副島隆彦は、遂に突き止めた。そして、生まれて2歳で、この男の子、すなわち親王は、藤原兼家(ふじわらのかねいえ、990年死)に貰われた。これが道長である。だから、光源氏の名の通り、道長は「源氏」(天皇の子で臣下に下った者)なのである。》

家内との朝の音読(https://oshosina2.blog.ss-blog.jp/2021-04-30)、今朝読んだのが『谷崎源氏』宇治十帖第五帖「宿木」のこの場面、気のすすまぬまま夕霧の婿となった匂宮だが、六の君の美しさのとりこになり、中君には次第に夜離れ(よがれ)が多くなる。こんなときには何かと相談相手になり慰めてくれるのは薫だったが、その同情はしだいに中君への慕情に変わっていった。ついにある夜、薫は思いを打ち明けて近づくが、懐妊の身の中君がいとおしくなり自制した。》ウィキペディア「宿木」)そのリアリティに感じ入ったちょうど後、副島氏の論を読んで納得した。『源氏物語』にはたしかに事実の裏打ちがあったことを。


ほんのキモ部分、下にダイジェストしておきます。

《『源氏物語』とは、だから一体、何なんだということの、真実の大きな火柱を副島隆彦が、ここに上げました。》《いくら真実を覆い隠しても、真実は絶対明らかになる。このことを私は念じながら、自分の霊魂と一緒に生きて、死んでいこうと思っている。/大きな真実を探りを入れて、自分の頭であれこれ考えると、明らかになる、いろんな恐ろしい事実が出てくる。》

ただし、鵜呑みにせず、あくまで自分の頭で咀嚼することが肝心です。そうしてはじめて「知った」ことになります。→マドモアゼル・愛さん「うお座時代の目くらましから覚める時 ー後編ー」https://www.youtube.com/watch?v=o8EHNxwcITs&t=462s

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