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議論のあり方 [mespesado理論]

22年ぶりに議員に復帰して3年が過ぎようとしています。12回の定例会があって、11回一般質問に立ってきました(令和3年9月議会は「2類相当から5類へ」意見書提出請願に全力集中で、一般質問はお休み)。本市の一般質問は、50分の持ち時間があって、最初に登壇して質問、降壇して議席中央の質問席で市長・教育長答弁を聴き、その後、当局(市長・教育長・担当課長・主幹)との一問一答という形です。昔は再質問、再々質問してあとは打ち止め、という形だったような気がするけれども、今は時間のある限り一問一答を繰り返す。なかなかこれになじむことができないまま3年間が過ぎた、それがなぜなのかが、mespesadoさんの説明でよくわかったような気がします。《ディベートの文化というのは民族がぶつかり合う中で、それ自体は誰もが認めざるを得ないロジックを使って相手をいかにして遣り込めるか》そのための形式だったのです。「やりこめる」ための議論には適していても「わかってもらう」ための議論には適していない。思い返せば私の一般質問はほとんど「わかってもらいたい」ための質問でした。だからつい壇上での発言が長くなってしまっていたのです。これからの議会のあり方を考える上でも貴重なmespesadoさんの発言です。

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