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小田仁二郎の現在的意義を探る(市民大学講座)(下) [小田仁二郎]

「小田仁二郎の現在的意義」を言うならば、小田仁二郎がドゥーギンにつながっていることが今の私にはいちばん語りたいところだった(「小田仁二郎→ドゥーギン→井筒俊彦」https://oshosina2.blog.ss-blog.jp/2022-11-10-4)。ところが講座前日にそれが封印された。3月議会最終日、議会発議案「ロシアによるウクライナ侵略に断固抗議する決議」にひとり反対(「「ロシアによるウクライナ侵略に断固抗議する決議」に反対」https://oshosina2.blog.ss-blog.jp/2022-03-19)して波紋を呼んだのだが、そのことの再燃を危惧してのことだった。資料からそこのところを削除することを了承し、A4両面の補遺資料を用意して臨んだ。結局ドゥーギンには触れずじまいだった。

福田恆存は、《なんら既成概念も先入観もなくはじめてこの世界にはいってきて、感覚以外のなにものも隔てずにじかに現実に接触する嬰児の、あの原初的な一人称》を回復することが小田仁二郎の企てであり、《「触手」においては完全な一人称小説がーおそらく日本ではじめて ーうちたてられた》という。《他人の存在を意識することによって、ひとははじめて自己を確認する。・・・が、じつは、三人称をうちに含まぬ一人称は存在する。ひとびとがこの場合一人称というのはたんなる自我意識にすぎぬのだ。・・・(「触手」の作者は)一人称をこの自我意識のそとに設定しようともくろんだのである。》いわゆる「自我意識」は「他者意識」と表裏をなす。そして必ず「他者と比べる」のが「自我意識」の宿命(業)といっていい。しかしそれは本来の「一人称」ではない。小田が目指したのは「自我意識」とは無縁な「原初的な一人称」だ。福田はそこに《能動性を欠いた性格の弱さを究極にまで押しつめ、そこで負を正にかえた強さであり、新しさ》を見てとり、小田が《自我意識そのものの無意味さから出発している》ことを高く評価した。

その達成を見た種村季弘は、そこに《見渡せば花も紅葉もない藤原定家の匂いたつ虚無の香り》を感じ取ったのだった。定家は「鎌倉殿の13人」と同時代人だ。ここ宮内はかつて「北条郷」と呼ばれていたが、北条時政の妾腹の子北条相模坊臨空に由来する。《相模坊ト申スハ拙寺中興清篇法印ヨリ相模坊ト名乗り申シ候右相模坊父ハ鎌倉北条遠江守平時政、母ハ沼田氏妾腹ノ子也 生得武ヲ嫌ヒ、沼田ノ家二罷在り歳十三二シテ清誉憎正ノ御弟子ト成リ、僧名ヲ臨空ト申ス 後年師二暇ヲ乞ヒ、佐野何某ト申ス者一人道連レ諸山巡拝シ、羽州羽黒山二来り数日山篭ノ後、何連レノ故御領内宮内二来リテ年行事ノ寺跡ヲ継ギ、是ヨリ相模坊ト名乗り三十三郷ノ霞支配仕り罷在り候処、北条ノ子ナル事ヲ知り時ノ人口々二北条相模坊ト唱へ、夫ヨリ自然ト三十三村ノ郷名ト相成り自今北条郷ト唱ヒ申シ候》(南善院由緒書)生得武ヲ嫌ヒ」出家した。「鎌倉殿の13人」の殺し合いを見るにつけ北条相模坊を思う。定家も同じ時代の空気を吸っていた。そして「触手」は戦時下において構想されていた。

さて、うまく伝わったかどうか心許ないのだが、私の意図したのは「自我意識」と「ゼニカネ感覚」をつなげることだった。「自我意識」は「ゼニカネ感覚」に見合っている。貨幣経済の進展とともに「自我意識」は幅をを利かすようになった。福田恆存をどう紹介しようかとあれこれ探して見つけたのが、小林よしのりにとっての福田観だった。(すぐに『修身論』を注文したのだがまだ届いていない。)私の意図とぴったりではないかもしれないが、《人間は生産を通じてでなければ付合えない。消費は人を孤独に陥れる》の言葉、大事な言葉に思えて入れておいた。この言葉の背景に「ゼニカネ」がまつわりついていることは確かだ。『ブルシット・ジョブ――クソどうでもいい仕事 』を思った。

「ゼニカネ感覚」が似合わないのが小田仁二郎だった。その分、奥さんがどれだけ苦労したことか。先日吟行の後の懇親会で、仁二郎の母たかさんの実家である杵屋本店大女将マーさん(90歳)と隣り合わせて話したのだが、杵屋本店にとって瀬戸内晴美なる女は悪女以外のなにものでもなかったとか。金沢道子さんと寂聴さんがわだかまりなく同席した仁二郎文学碑の除幕式にも、杵屋本店からの参列は一切なかったという。(ただし、文学碑を建立した南陽文化懇話会会長は、駅前杵屋支店の菅野俊男さんだった。俊男さんは婿養子で奥さんが仁二郎の従兄妹。↓は「週刊置賜」に連載された講演録)

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《「他者と比べる」のが「自我意識」の宿命》と書いたが、その延長上にあるのが「ヘゲモニズム」。川喜田二郎は「常に他より上を目指してやまない覇権主義」と言い換えた。その「自我意識」とは別次元の「一人称世界」を切り拓いたのが小田仁二郎だった。ぶち壊しぶち壊しして、そこにたどりつくことが往路とすると、現実世界で生きて行くにはそこに立ち停まるわけにはいかない。環路がある。「にせあぽりや」は、往路であるとともに環路でもある。そのとき再び、あの宮内の生々しい情景が甦る。私の中では、ここからドゥーギンに繋がってゆくのだが、それはまた別に書く。

仁二郎の母の「自我至上の生き方うたがひ街を歩く生あたたかき風の吹く夕べ」をむすびとした。たかさんが感じ、仁二郎に引き継がれた宮内の空気を思いつつ。

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