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I さんからNさんへの手紙 [若松英輔]

親しい人に速達で届いたある方からの手紙を紹介したい。昨日預かった。一読ここに書き留めておきたいと思った。お二人から諒解は得ているのではないが赦していただけると思う。

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拝啓
 私が庄野潤三の本を読むようになったのは、昭和五十一年朝日新聞の広告で、庄野潤三作『鍛冶屋(かじや)の馬』という書名に惹かれて、これを入手して読んだのです。
 話の順序がわるくなりますが、庄野潤三は、大阪の住吉(すみよし)中学で伊東静雄に国語を教わりました。伊東静雄は、大阪で無名の詩人でしたが、東京では名の知れた詩人でした。やがて、庄野が作家を志したとき、伊東静雄は、平明なことばで深い考えを表現するのは、すぐれた文学であるとさとしたのです。右の「鍛冶屋の馬」は、私は今まで五回読み返しました。本当にすぐれた文学書は、何度読み返してもあきません。
 この小説は、幼稚園へ行く前の五歳くらいの子供がいる店子(たなこ)の親子の交流を主題にしています。この借家には六世帯の家族が暮らしています。そしてこのうち「和子」はこの小説の主人公です。つまりこれは庄野の長女です。和子はあるとき蛇(へび)の話をします。その一節を援用しましょう。

  だから和子、蛇は神様というから殺さない方がいいわ。それに大家さんは
  農家の人だから、蛇を殺さない。蛇はおとなしくて、決して人に向かわな
  い。もし蛇がこわければ、たか子ちゃんのようにたばこのすいがらをまい
  ておけばいいのよ。  

 これを読むと、和子は、蛇を慈しんでいることがわかります。つまり作者は、蛇を慈しんでいると読者は考えます。私の知るかぎり、このような 慈愛というよりも「慈悲」を考えるのは、実に貴とい考え方であると思って、深い感銘を受けたのです。私は「愛」などより「慈悲」を貴く思うように成りました。
 伊東静雄は、平明な言葉で深い考えを表現することが大切なのだと、若き庄野潤三にさとしたのです。

 そして伊藤は、一篇の詩を書きあげたとき、二じょうの書斎で、庄野にこれを朗読しました。この二じょうの書斎は、ことばの本質的な意味で「あわれ」です。

 後年庄野は、仏壇は買わずに、ピアノの上に両親の写真や人からいただいた菓子や果物をそなえて暮らしました。
 『鍛冶屋の馬』をつい昨日読み返して、蛇に対する作者の考えはどんなにほめたたえてもほめすぎではないと、しみじみ思いました。

 あなたはお手紙で「文学がわからない」とおっしゃっています。
 それに対してわたしに言えることは、努めて名作に親しんで、心を豊かにしていただきたいと思っています。俳句は近ごろは詠(よ)まないのでしょうか。それができたときは、ご披露下さい。
 今日はこれでペンを措きます。

不一

     七月十四日

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書き写しつつ、意識が頭から胸のあたりにすーっと降りてきたような気がする。

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