狂気の沙汰 [コロナ危機]

https://www.sankei.com/article/20220514-MVVCVLRYYBLIHKRXTOCW7V4HGM/)さらに加えて、《使用されないまま有効期限が切れた新型コロナワクチンの廃棄をめぐり、後藤厚生労働大臣は、自治体の業務負担などを考慮し、現時点では、廃棄されたワクチンの量を調査する考えはないことを明らかにしました。》(「後藤厚労相“ワクチン廃棄量 調査せず 自治体の業務負担考慮”」(NHK 2022/5/17)http://www.asyura2.com/22/iryo9/msg/226.html)
新・mespesadoさん講義(147)「参政党」評価 [参政党]
『神やぶれたまはず』再々読(7) [本]
平成26(2014)年、『神やぶれたまはず』を読み終えてこう書いていた。(https://oshosina.blog.ss-blog.jp/2014-01-10#more)
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《昭和20年8月のある一瞬――ほんの一瞬――日本国民全員の命と天皇陛下の命とは、あひ並んでホロコースト(供犠)のたきぎの上に横たはっていたのである。》(p.282)
国民は、その一瞬が過ぎるやたきぎの上からたちまち降り立ち明日から生きてゆくための行動を開始した。薪の上に載った一瞬などその時だけの一瞬に過ぎない。そんな記憶は時間と共にどんどん遠ざかってゆくだけだ。そうしてあっという間に68年が過ぎてしまった。
しかし、国民にとっては「ほんの一瞬」であった 「この一瞬」は、昭和天皇にとってはその後の生を通して背負い続けなければならなかった「永遠の一瞬」だった。
いまあらためてあの一瞬からいままでの時の流れをふりかえるとき、あの一瞬が夢だったのか、はたまたあの一瞬を忘れて過ぎ去った68年の時の流れが夢だったのか。長谷川氏の「神やぶれたまはず」を読んだいま、私には過ぎ去った68年の方が夢だったのかと思えてしまう。
昭和天皇はその間、われわれにとってたちまち過ぎたあの一瞬を夢ではない現実として、たきぎの上から降り立つことのないまま昭和を生きて、平成の御代へとバトンを引き継がれていったのではなかったか。薪の上に在りつづけた昭和天皇のお姿こそが夢ではない現実ではなかったのか。そのことを抉り出してみせてくれたのが、他ならぬ「神やぶれたまはず」であった。民よ、再び薪の上に戻れ。そこで「神人対晤」のかけがえのなさを知れ。確たる現実はそこからしか始まりようがない。さもなくば日本人の精神はとめどないメルトダウンに抗すべくもなし。あの一瞬に目を瞑っての日本再生は、かつて辿った道を遡る道に過ぎない。
『神やぶれたまはず』再々読(6)「イエスの死にあたる意味」 [本]
『神やぶれたまはず』再々読(5)「神人対晤の至高の瞬間」 [本]
粡町自主防災会避難訓練、等 [日記、雑感]
『神やぶれたまはず』再々読(4)「神風」 [本]
『神やぶれたまはず』再々読(3)「最終戦争」と「使い走り戦争」 [本]


『神やぶれたまはず』再々読(2) [本]
『神やぶれたまはず』再々読(1) [本]
