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小田仁二郎特別展 [小田仁二郎]

入口看板.jpg毎年この時期、宮内公民館(南陽市文化センター)で開催する「宮内よもやま歴史絵巻展」、今年は「小田仁二郎特別展」と銘打つことになりました。昨日準備しているところに、河北町から「小田仁二郎について知りたくて」と来られた方があって喜んで帰られました。小田仁二郎2021.11.29.jpeg11月29日の山形新聞「季節風」を読んだのが思い立つきっかけだったのですが、タイムリーだったようです。寂聴さんに急かされているような思いで進めたところです。寂聴さんにとってほんとうにたいせつな人だったのです。自伝小説「いずこより」の感動的な場面を掲げておきました。
《気がついた時、昔の男(小田仁二郎)の訪れは次第に遠のき、新しい男(木下音彦)が当然のようにそこに居座っていた。「夏の終り」はこんな状況の許で書かれた。出来の結果など、私には考えられなかった。あの複雑な去年の夏の終りを、過去のこととして書くことによって、私の中にいる昔の男(小田)との愛の想い出を剥製にして永遠にとどめておきたかった。「夏の終り」を書いたことによって、私は一応、一年余り投げこまれていた二人の男との愛のもつれから自分をとき放ったと思った。私に作家としての地位を固めさせてくれた小説があるとすれば、それは「夏の終り」であろう。・・・この小説は翌月の文芸時評に、各新聞に取りあげられ、好評を得た後、翌1963年の3月、第2回女流文学賞を佐多稲子さんの「女の宿」と共に受賞した。・・・受賞式の席上、私は場所柄もがまん出来ず、挨拶の途中で、涙につきあげられて絶句した。この貧しい作品にこめられた小田仁二郎との十年にわたる歳月の想い出が私の立っている足をすくいそうになった。私は彼から、小説を書くことを教えられ、認められるチャンスを与えられ、励まされた。何よりも私は彼との生活によって、文学の質の高さとか低さというものを言葉ではなく、皮膚から教えこまれた。女として充実した美しい恋の日々を与えられた。》瀬戸内は、ホールにいる客の中に、来賓として招かれていた小田を探し出す。《壁ぎわで笑っているなつかしい顔があった。「ありがとうございました」私は人が見ていることも忘れて深いお辞儀をしていた。「よかった、ほんとによかった」低い私にしか聞きとれない彼の声を私は吸い込むように聞いた。私は泣いていた。》
◎展示の視点
①寂聴さんとの関わり
②宮内との関わり(『にせあぽりや』・文学碑建立)
③小田文学自体のすごさへの着目(寂聴さんあっての仁二郎ではない!)
③についてはまだまだこれからです。仁二郎の《わからないとは何であるか。わかろうとしないことである。精神の怠惰にすぎないのではないか》の言葉がいつも頭にあります。ようやく時代が仁二郎に追いついた、そんな気がしています。

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