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岡慎之助君金メダル! [徳田虎雄]

昨日5ヶ月ぶりに家に戻った。病院の快適な空調環境から酷暑の外界へ出ることの大変さを覚悟していたのだが、思ったほどではなかった。昨日の段階で梅雨明け宣言はまだだった。久しぶりの自宅での夜。夜中の3時過ぎに目が覚めた。最近の習慣でテレビのスイッチを入れたら水泳だったかだが、ニュース速報のテロップ。個人体操総合で岡慎之助が金メダルの報だった。すぐ地上波にかえた。家に帰って久しぶりに広げた昨日の朝刊で、徳洲会からたしか岡と杉野の二人が出ていたのを確認していたところだった。監督は徳洲会の水鳥監督だ。テレビの解説が米田功だった。徳田さんの臨在を思った。

米田、水島等の団体総合金メダルがちょうど20年前のアテネ五輪だった。凱旋後まもなくの山形徳洲会病院オープン。その記念式典に花を添えるべう招かれたのが彼らだった。屋上から吊り下げる歓迎幕を調製した記憶がある。折しもちょうど山形徳洲会病院20周年記念式典の案内状が届いている。

それにしても、「世界の厚生省を目指す」と言っていた徳田さん、かつての宿敵武見太郎医師会会長の息子が仕切る今の厚労行政をどう思っておられるだろうか。

・【第9回WCH超党派議連】禁句連発…コレは絶対テレビには流れません…削除される前にすぐ見たほうが良いです/ 衆議院議員会館 /2024 /7/25 深田萌絵/ 我那覇真子/神谷宗幣/吉野敏明/林千勝 https://www.youtube.com/watch?v=PIlNX9lxGpI

新型コロナワクチン接種による健康被害という未曾有の事態に正面から対処し得ない医療界にあって、徳洲会の果たすべき使命は実に重大である。
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限界を少し超えたところに金メダル

体操ニッポンの復活を目指し、日本体操協会会長に就任

1996年に日本体操協会の会長に就任した徳田虎雄理事長(当時)は、オリンピックで金メダルを獲得するには、協会の改革が必要と考えた。そこで古参を含む理事の一新を企図。協会の会議は密室で行うのが常だったが、徳田理事長はメディアに公開して理事会を開き、約5時間に及ぶ激論の末、青壮年による新体制を築き上げた。

98年、体操ニッポンの復活と一流の人材育成を目指し、徳洲会体操クラブを創設。04年のアテネオリンピックの日本代表には、同クラブ所属の米田功選手と水鳥寿思選手が選ばれた。アテネに向けて出発する前、両選手らは徳田理事長を訪れた。徳田理事長は「限界を少し超えたところに金メダルはある。金メダルをつかむつもりで鉄棒をつかめ。何が何でも金メダルを取ってこい」と激励。日本は28年ぶりに男子団体総合優勝を果たした。

徳田理事長は「人生はスポーツと同様、『心・技・体』の順で大切。心を健全に保ち、技術は努力で高め、肉体的にも良い生活習慣をもつよう努力すべきです」という言葉を残している。


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