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徳田虎雄師を憶う [徳田虎雄]

退院の7月31日まで秒読み。帰ってからのくらしを思う。思い描くのはゆったりした暮らし。もうバタバタから解放されたいと思いつつ、バタバタの源流に徳田さんが在ることに気付いた。結婚して1年後の昭和56年3月、徳田さんと出会って以来、仙台や東京での「獅子の会特別訓練」に仲間と共に何回か参加したのだが、その時示されたのが徳田さんの手帳だった。「月火水木木金金」、365日休みなし、年中無休で突っ走る徳田さんの毎日がわかる手帳だった。毎日のがんばり具合が、ひとつ丸、ふたつ丸、みつ丸、花丸で評価されていた。「あんたらもこれをやれ!」というのだった。何かそれに類したまねごとはやったのかもしれないが、みんな長くは続かなかったようだ。徳田さんのような「怒り、悲しみ、恐怖心」に裏づけられた、実力の100倍の目標の持ち合わせがなかったのだ。ただ、そのようにしてがんばれという徳田さんの訓えが強迫観念となって染みついた。今回の入院を「これまでのくらしをあらためる機会」と考えていたのだが、その途上での徳田さんの訃報だった。
青木理氏の徳田虎雄伝を読んだ。よくまとまっている。氏の著『トラオ 徳田虎雄 不随の病院王』については→https://oshosina.blog.ss-blog.jp/2012-02-29
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《追悼評伝》徳田虎雄氏“不随の病院王”の功罪「『絶対善』の目的のためには手段はすべて肯定される」 伝説の選挙戦「保徳戦争」では現金が乱舞し選挙賭博も横行

配信

NEWSポストセブン

医療法人・徳洲会の創設者で元衆議院議員の徳田虎雄氏

伝説の「保徳戦争」

栗本慎一郎氏が明かした「徳田の本質」


 そして栗本は評した。「汚くないウンコ」みたいだった、と。  たしかに徳田は世の常識や法など屁とも思わない狼藉者であり、キワモノであり、特に政治絡みの無法な所業の数々は断じて認め難い。しかし一方、すべては幼き日の悲哀を原点とする「絶対善」と評せる目的のためであり、現実にそれを実現させてもきた。徳田を蛇蝎のごとく嫌う鹿児島の医師会幹部ですらこう語ったのだ。「素直に認めざるを得ない部分もある。鹿児島の離島医療を徳洲会が担っているのは事実だから」と。  そんな徳田がALS=筋萎縮性側索硬化症を発症したのは2001年。全身の筋力が徐々に失われ、最後は意思表示すら困難になる難病に病院王が罹患したことを、いまは亡き石原慎太郎は「現代の英傑」に「神が与えた試練」だと大袈裟に評して涙ぐんだ。  一方の徳田は、すでに眼の動きでしか意思を伝えられなくなった2011年時点での私の取材に「これからが人生の勝負」「あと5年は私が体制を作る」と豪語し、実際に病室からグループ経営を指揮し続けていた。  だがそのわずか2年後、徳洲会は公選法違反容疑で東京地検の大々的捜査を受け、徳田は理事長の座を追われた。過去の所業を思えばむしろ遅すぎた感もあるし、以後の約10年、徳田が何を想いどんな日々を送ったか、直接訊く機会を持たなかったのは心残りでもある。  いずれにせよ、傍若無人なキワモノである一方、「絶対善」の目標へと猪突猛進する、徳田のような人物が現下のこの国に生まれることはないだろう。法令遵守やらコンプライアンスやらの号令ばかり声高に叫ばれる昨今、それが良いことか悪いことかは別として、少し寂しく私は感じたりもしている。 【プロフィール】 青木理(あおき・おさむ)/1966年、長野県生まれ。ジャーナリスト。共同通信でソウル特派員などを務め、2006年からフリーに。本誌で2011年に『トラオ 徳田虎雄 不随の病院王』を連載。近著に『時代の反逆者たち』。

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めい

【解説】元衆議院議員の徳田虎雄さん死去(青木理)
https://www.youtube.com/watch?v=BeTD738PeeU

by めい (2024-08-13 06:43) 

めい

「医療界の革命児」徳田虎雄氏の足跡「生命だけは平等ですから」徳洲会設立、政界進出、保徳戦争…波乱万丈の一生を振り返り 鹿児島
https://www.youtube.com/watch?v=r3Xuz903rFc

by めい (2024-08-13 06:55) 

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