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熊野大社春祭り [熊野大社]

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昨日(5月1日)、熊野大社の春祭りでした。春祭り:終戦後、祈年祭と鎮火祭とが合わさりこの日に執り行われる様になりました。春に先立ち、巫女が花をかざして舞を捧げるのが慣わしとなっております。天下泰平、五穀豊穣と商工業の繁栄をご祈願し、同時に火事が起こらない様にと鎮火の祈願も込められます。》(宮内熊野大社HPhttps://kumano-taisha.or.jp/matsuri/spring/
北野猛先々代宮司が書かれた「熊野大社年中行事」(宮内文化史研究会 1965)の11章「花祭」にこうあります。《康平年中鎮守府将軍源義家が、後三年の役に戦勝を熊野の神前に祈願した。戦火のおさまった康平6年に神恩を感謝し酬恩のまことを捧げんと景政を紀州熊野に遣わし、熊野大権現を当社に再遷宮し、このとき大刀三振、御鏡三面、金幣三本、獅子頭一頭を移し、武功戦死の者十二体を木彫にしてその冥福を祈り、三百貫文を御朱印として付し置かれ、祭式は日本第一霊権現と称号し花を挿し大鼓を打ち笛を吹き旗を立て歌舞して是を祭り、神輿渡御は天皇の御幸と同じであったと伝えられている。これが恒例となり、例年春爛漫の花の候に一山をあげて行なわれ、花まつりとよばれて社人は花をかざして舞をまい、旗を立てて天下泰平五穀の豊穣を祈ったものだ。舞は熊野舞といい、歌笛の伴奏があり凱旋を祝うにふさわしい快的なリズムであったというが、今は歌詞さえ伝わっていない。/終戦後に神社経済の逼迫から、新年祭と鎮火祭とを吸収して五月一日に行なわれ、今は人長舞春日舞などの曲に楽人が花をかざして舞い、天下泰平五穀豊穣と商工業の繁昌と安全を祈ることになっている。
(「宮内熊野大社春季例祭「花祭」」https://oshosina.blog.ss-blog.jp/2013-05-01
今は神主家は北野家に移っていますが、かつては宮沢城を守る3000石の武将で、江戸期以降は代々神職を務めてきた大津家に伝わる「熊野神社縁起」(南陽市市史編集資料第7号所収)に、《祭式ハ古例に任シ、花時二花ヲ以テ是ヲ祭リ、笛吹・鼓打・旗立・歌舞シテ祭リ、天下泰平・国民安堵ノ為メ春夏秋冬怠慢無ク大祭小祭ヲ定テ、天下永久祭ルヘシ》とあり、このくだりは日本書紀に由来します。《一書に曰はく、伊弉冉尊(イザナミノミコト)、火神を生む時に、灼かれて神退去(かむさ)りましぬ。故(かれ)、紀伊国の熊野の有馬村に葬(はぶ)りまつる。土人(くにびと)、此の神の魂(みたま)を祭るには、花の時には亦(また)花を以て祭る。又鼓吹幡旗(つつみふえはた)を用(も)て、歌い舞いて祭る。》(日本書紀神代巻)私にとっては、熊野大社最大のロマンにつながる大事なお祭りです。→「宮内熊野に探る「祭り」の意味 (4)」https://oshosina.blog.ss-blog.jp/2014-12-21
朝は皐月の月例祭でした。まさに五月晴れで、若葉に心躍らす朝でした。

大銀杏と熊野の森2023.5.1.jpg大鳥居を望む23.5.1.jpg

若葉の熊野大社23.5.1.jpg若葉の大銀杏23.5.1.jpg

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