議論のあり方 [mespesado理論]
22年ぶりに議員に復帰して3年が過ぎようとしています。12回の定例会があって、11回一般質問に立ってきました(令和3年9月議会は「2類相当から5類へ」意見書提出請願に全力集中で、一般質問はお休み)。本市の一般質問は、50分の持ち時間があって、最初に登壇して質問、降壇して議席中央の質問席で市長・教育長答弁を聴き、その後、当局(市長・教育長・担当課長・主幹)との一問一答という形です。昔は再質問、再々質問してあとは打ち止め、という形だったような気がするけれども、今は時間のある限り一問一答を繰り返す。なかなかこれになじむことができないまま3年間が過ぎた、それがなぜなのかが、mespesadoさんの説明でよくわかったような気がします。《ディベートの文化というのは民族がぶつかり合う中で、それ自体は誰もが認めざるを得ないロジックを使って相手をいかにして遣り込めるか》そのための形式だったのです。「やりこめる」ための議論には適していても「わかってもらう」ための議論には適していない。思い返せば私の一般質問はほとんど「わかってもらいたい」ための質問でした。だからつい壇上での発言が長くなってしまっていたのです。これからの議会のあり方を考える上でも貴重なmespesadoさんの発言です。
* * * * *
949:貴香 :2023/03/11 (Sat) 07:34:34
財務省→罪務省
参議院財政金融委員会
西田昌司チャンネル 財務省の出鱈目な答弁を一挙に暴きます!
https://youtu.be/3NEbNv5-66E
財政運営委員会
まなびば さすが神谷宗幣!
https://youtu.be/d1qxmDPO4GY
950:mespesado :2023/03/11 (Sat) 10:01:56
>>949
> 財政運営委員会
> まなびば さすが神谷宗幣!
> https://youtu.be/d1qxmDPO4GY
↑財政問題については、松田学の誤った貨幣論に則っているから全然ダメですやん。
思うんですが、こういう国会質問という形式は、欧州議会を真似て作った制度だと思うんですが、それが機能する(少なくとも多くの人に機能するものだと信じ込ませる)ことができるのは、欧米ではディベートの文化があるからであり、そのディベートの文化というのは民族がぶつかり合う中で、それ自体は誰もが認めざるを得ないロジックを使って相手をいかにして遣り込めるか、つまり動機の部分は利己主義であるにもかかわらず、それを巧妙に「隠して」、結果を導くロジックは客観的だからその結論は反対者も認めざるを得ない、というスキームに皆納得というか洗脳されている社会でこそそれは機能する、というわけですね。だから、そもそもそういう文化を持たない日本では、こういう国会質問というのは全く機能せず、法案を通すまでの単なる「儀式」に成り下がってしまっている。
つまり、西洋人というのは「感情」を押し殺して「思考」の産物であるロジックの方を上位に置く文化を人工的に作り上げている社会であり、日本はそういう洗脳は元から存在せず、正しく「感情」の方が土台にあって、「思考」というものは、感情に支配された中で利用する「単なる道具」として存在しているということを「無意識に知っている」文化であると思う。
だから、日本で機能するのは、例の福島教授が厚労省の役人の前で机を叩いて相手を糾弾したようなやり方が一番機能する。一見すると野蛮に見えるけれど、実は福島教授は「わかってて敢えてそのような作戦に出た」ことが、本人の口から説明されている。つまり、感情的になると言っても、ネットのツイッターで感情的に悪を非難しても意味が無い。あくまで相手とフェイストゥーフェイスで面と向かってサシになった状態で「本気で」怒ると、仮にその相手が逃げたとしても、そういう場面を見た第三者は深く共鳴して、それが強い力になる。現に、この福島教授の「吠えた」動画は各言語に勝手に翻訳されて、世界中に広まった。要は、西洋人も実際は「感情」の方がベースにあって「思考」がそれに乗っかったツールであるという「人体の仕組み」であることは日本人と変わらないのだ。それを体裁だけ「思考の方が感情より上」という顔をしているだけ。単なる欺瞞なのだ、ということがこれでバレでしまったんだと思う。
さて、国会質問の話に戻って、この「感情の方が思考より土台にある」ことを分かっていて、かつ正しい貨幣論を熟知して、国会質問の場を有効に活用している人が一人だけいる。それが貴香さんがもうひとつの動画として紹介している西田昌司参院議員だ。西田議員の国会質問は福島教授のように、熱がこもっていて、確かに財務省の内部に少しずつそのエネルギーが浸透すしているように感じる。対する神谷宗幣の方は、淡々とし過ぎてエネルギーが相手に伝わらない。その上貨幣論は正しい理解を持っているとは思えず、しかも代表の松田学氏に忖度しているから底力もない。やはり政治は政党というより政治家個人の(あらゆる意味での)力量が最も重要な要素だと思わざるを得ない。
951:suyap :2023/03/11 (Sat) 17:20:57
>>950 mespesadoさん
神谷宗幣氏の弁舌を聞いても違和感がずーっとあったのですが、↓コレ↓だったんですね。すごく納得:
>神谷宗幣の方は、淡々とし過ぎてエネルギーが相手に伝わらない。
>その上貨幣論は正しい理解を持っているとは思えず、
>しかも代表の松田学氏に忖度しているから底力もない。
財務省→罪務省
参議院財政金融委員会
西田昌司チャンネル 財務省の出鱈目な答弁を一挙に暴きます!
https://youtu.be/3NEbNv5-66E
財政運営委員会
まなびば さすが神谷宗幣!
https://youtu.be/d1qxmDPO4GY
950:mespesado :2023/03/11 (Sat) 10:01:56
>>949
> 財政運営委員会
> まなびば さすが神谷宗幣!
> https://youtu.be/d1qxmDPO4GY
↑財政問題については、松田学の誤った貨幣論に則っているから全然ダメですやん。
思うんですが、こういう国会質問という形式は、欧州議会を真似て作った制度だと思うんですが、それが機能する(少なくとも多くの人に機能するものだと信じ込ませる)ことができるのは、欧米ではディベートの文化があるからであり、そのディベートの文化というのは民族がぶつかり合う中で、それ自体は誰もが認めざるを得ないロジックを使って相手をいかにして遣り込めるか、つまり動機の部分は利己主義であるにもかかわらず、それを巧妙に「隠して」、結果を導くロジックは客観的だからその結論は反対者も認めざるを得ない、というスキームに皆納得というか洗脳されている社会でこそそれは機能する、というわけですね。だから、そもそもそういう文化を持たない日本では、こういう国会質問というのは全く機能せず、法案を通すまでの単なる「儀式」に成り下がってしまっている。
つまり、西洋人というのは「感情」を押し殺して「思考」の産物であるロジックの方を上位に置く文化を人工的に作り上げている社会であり、日本はそういう洗脳は元から存在せず、正しく「感情」の方が土台にあって、「思考」というものは、感情に支配された中で利用する「単なる道具」として存在しているということを「無意識に知っている」文化であると思う。
だから、日本で機能するのは、例の福島教授が厚労省の役人の前で机を叩いて相手を糾弾したようなやり方が一番機能する。一見すると野蛮に見えるけれど、実は福島教授は「わかってて敢えてそのような作戦に出た」ことが、本人の口から説明されている。つまり、感情的になると言っても、ネットのツイッターで感情的に悪を非難しても意味が無い。あくまで相手とフェイストゥーフェイスで面と向かってサシになった状態で「本気で」怒ると、仮にその相手が逃げたとしても、そういう場面を見た第三者は深く共鳴して、それが強い力になる。現に、この福島教授の「吠えた」動画は各言語に勝手に翻訳されて、世界中に広まった。要は、西洋人も実際は「感情」の方がベースにあって「思考」がそれに乗っかったツールであるという「人体の仕組み」であることは日本人と変わらないのだ。それを体裁だけ「思考の方が感情より上」という顔をしているだけ。単なる欺瞞なのだ、ということがこれでバレでしまったんだと思う。
さて、国会質問の話に戻って、この「感情の方が思考より土台にある」ことを分かっていて、かつ正しい貨幣論を熟知して、国会質問の場を有効に活用している人が一人だけいる。それが貴香さんがもうひとつの動画として紹介している西田昌司参院議員だ。西田議員の国会質問は福島教授のように、熱がこもっていて、確かに財務省の内部に少しずつそのエネルギーが浸透すしているように感じる。対する神谷宗幣の方は、淡々とし過ぎてエネルギーが相手に伝わらない。その上貨幣論は正しい理解を持っているとは思えず、しかも代表の松田学氏に忖度しているから底力もない。やはり政治は政党というより政治家個人の(あらゆる意味での)力量が最も重要な要素だと思わざるを得ない。
951:suyap :2023/03/11 (Sat) 17:20:57
>>950 mespesadoさん
神谷宗幣氏の弁舌を聞いても違和感がずーっとあったのですが、↓コレ↓だったんですね。すごく納得:
>神谷宗幣の方は、淡々とし過ぎてエネルギーが相手に伝わらない。
>その上貨幣論は正しい理解を持っているとは思えず、
>しかも代表の松田学氏に忖度しているから底力もない。
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