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戦争犠牲者の慰霊を今後どう考えるか(一般質問①) [議会]

10日の一般質問報告、2回に分けて書いておきます。

最初の「戦争犠牲者の慰霊を今後どう考えるか」は、梨郷神社の宮司さんの「遺族会も高齢化で解散し始めているところも出ている。梨郷地区は地区あげて慰霊祭をやってるけど、これからどうなんだべね。」という話にはじまる。まだ遺族の方々が健在の今のうちにきちんと考えねばならない。世の中全体、戦争が余所事でなくなっている今こそとりあげるべき大事な問題だ、と思い立っての問題提起でした。まだ具体的な提案までは考えることができなかったので、生煮えの感じですが、今後大事なテーマとして考え続けてゆく、そのための第一歩でした。

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木村武雄の日中国交正常化.jpg 今年になって、昨年10月に発刊された坪内隆彦著『木村武雄の日中国交正常化』という本が話題になっております。いうまでもなく木村武雄はわが選挙区選出の代議士です。市長のおじいさん白岩石雄元山形県議会議長も熱心な応援者でした。田中角栄内閣で建設大臣を務め、「元帥」のニックネームで一目置かれた存在でした。昨年は日中国交正常化50周年という記念すべき年でしたが、木村武雄代議士こそが日中国交正常化の最大の功労者であったことを明らかにしたのがこの本です。木村武雄は、福田赳夫を後継者に考えていた佐藤栄作首相にの意思に逆らって田中派結成を目論見、、田中政権を実現させたのでした。実は木村武雄と田中角栄の間には、田中政権が誕生したら日中国交正常化を実現させるという固い約束が交わされていたことをこの本は明らかにしています。木村武雄が師と仰いだのが鶴岡生まれの軍人石原莞爾将軍でした。「アジア人同士戦わず」という石原莞爾の意志を引き継いでの日中国交正常化の実現でした。実は石原莞爾将軍が昭和15年に発表した「最終戦争論」が、核戦争の危険が迫る今、あらためて注目されています。織田信長の時代、鉄砲によって日本の統一が果たされたごとく、最終兵器の出現が世界を平和に導くというのです。核使用の有無が本気で心配される今の世界情勢はまさに石原莞爾の「世界最終戦」段階に突入しているのではないかというのです。
 こうした折の2月24日、97歳にして「哲人政治家」としてなお影響力をもつマレーシアのマハティール元首相が、第3次世界大戦がはじまっていることを公に警告しました。「NATO加盟の欧米側の挑発によって、ロシアはウクライナへ攻め込んだ。それは第三次世界大戦の始まりであり、核兵器の使用も視野に入っている」と世界に向けて発言したのです。今まさにこうした時代であることを背景に、戦争犠牲者の慰霊を今後どう考えるかについておたずねしたいと思います。

 おりしも今日3月10日は東京大空襲の日ですが、厚労省援護局の統計によると、昭和12年の日中戦争から戦後のシベリヤ抑留までの戦争による死者は、日本軍兵士230万人、民間人80万人、合わせて310万人に及ぶと言われます。この尊い犠牲があって「平和国家日本の建設」が始まったのでした。以来77年、われわれ戦後世代が「二度と繰り返してはならない時代」として教え込まれた時代が、また再現しかねない情況になってきたことを、3年間のコロナ騒ぎの中で痛感させられてきました。まだ治験中でその効き目も定かでなく、副反応の危険がしきりに叫ばれているというのに、8割以上の人が3回も打ってしまうワクチン、息苦しさをがまんしながら顔を半分隠すことが当たり前になったマスク社会という現実を見せつけられた今、竹槍訓練に励み、金属供出のために走り回り、白い土蔵に墨を塗りたくった80年前の先輩日本人を笑うことはできません。
 戦争で亡くなった方々の悲惨さ辛さは、何よりもその肉親の記憶に深く刻まれて伝えられてきました。しかし当時乳呑み子だった戦争遺児も80歳になろうとしている今、その記憶維持の仕組みが途絶えかねない事態になっています。時あたかも、世界中が「核戦争」の可能性まで含めた「戦争」について、差し迫った現実のこととして考えねばならない時代になってきました。2022年の世界の軍事費は1兆9786億ドル(約260兆円)となり、前年比2.6%増加しました。日本は、ほぼ半世紀にわたってGDPの1%以内にとどめてきた防衛予算を、岸田政権は2027年度にはGDPの2%程度約11兆円にするという方向に舵を切りました。さらに国会では「緊急事態条項」についての論議が始まっています。これが憲法に明記されれば、国会の審議無しの閣議決定だけで基本的人権の制限が可能になってしまいます。日本が正常な判断ができるまともな独立国家あるならば、差し迫った緊急事態に対応するために必要な場合も考えねばならないかもしれません。しかし、現状は違います。私が「緊急事態条項」を危険視するのは、日本人としての正常な判断もないままのワクチン接種へのなだれ込み、さらには昨年来のロシア非難一辺倒を目の当たりにして、「真実」がないがしろにされた日本が身に沁みているからです。現状日本においての「緊急事態条項」追加の憲法改正は必死で押しとどめねばならないと考えています。そして、過去の誤った時代をまた繰り返すことの愚を防ぐには、何より過去の悲惨な記憶を呼び戻すことが肝要であると考えるのです。国のために戦って亡くなった英霊として顕彰される方々は、その一方では、悔しく辛く悲しい思いで命を落とした戦争の犠牲者です。その方々は、後の世代に二度とこのような体験を繰り返させたくはないし、させてはならないと思っておられるにちがいありません。そうした思いに心を寄せつつおたずねします、

⑴南陽市における戦没者慰霊の現状について
①本市各地区で行われてきた戦没者慰霊祭の現状

〈市長答弁:令和3年度までは、各地区において、各地区遺族会による戦没者慰霊祭が実施されてまいりましたが、終戦から77年が経過し、遺族の高齢化による会員数の減少から活動の継続が難しくなってまいりました。数年前からは追悼式の一本化が課題となっており、今年度から市が主催となり、山形県遺族会南陽支部の共催を受け、市全体の追悼式を実施した。〉
②東置賜地区の戦没者慰霊祭の現状

〈市長答弁:米沢市・高畠町・川西町ともに各自治体が主催となり、「戦没者追悼式」を実施している。〉


⑵現状をふまえた今後について、南陽市としてどう考えているか

〈市長答弁:先の大戦において亡くなられた方々を追悼し、平和を祈念するため、今後も遺族会と協力し、追悼式を実施してまいりたいと考える。〉
⑶「死者の慰霊」は「政教分離」に抵触しないと考えていいか

〈市長答弁:政府においては、昭和57年4月13日に閣議決定された「戦没者を追悼し平和を祈念する日」に基づき・毎年8月15日に全国戦没者追悼式を政教分離の原則に則り、無宗教式で実施しております。本市におきましても、無宗教式で実施しており「政教分離」には抵触しないものと考える。〉


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めい

売国奴総理・岸田! 防衛予算5年間43兆円の9割がアメリカへの貢ぎ物に使われる。これでは日本の防衛産業が育たない!安倍の亡霊。
http://www.asyura2.com/22/senkyo289/msg/623.html
投稿者 西大寺 日時 2023 年 3 月 18 日 23:29:18: cgRA355xS6WP2 kLyR5Y6b
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売国奴総理・岸田! 防衛予算5年間43兆円の9割がアメリカへの貢ぎ物に使われる。
これでは日本の防衛産業が育たない!安倍の亡霊。
https://www.youtube.com/watch?v=Yocr-RYZWo0

売国総理・岸田&安倍! アメリカ政府の「言い値」買い高額兵器。 安倍がトランプ怖さに路線を敷いた防衛費2倍路線。
岸田が無反省に踏襲して日本は増税破綻!
https://www.youtube.com/watch?v=mAl3rbsG70o  

by めい (2023-03-19 03:51) 

めい

田中角栄のものすごいエピソードをご存知でしょうか?

田中角栄氏は歴代総理の中でもズバ抜けてエピソードや名言が多い人物として有名ですね。

1972年、角栄氏が総理大臣就任直後に国交正常化のために中国を訪問した時のこと。

日中国交正常化に向けた交渉は、大平正芳外務大臣と周恩来首相がほとんど進めていました。しかし、間もなく交渉は暗礁に乗り上げます。

外交団がしょぼくれて控室に戻った時、迎えた角栄氏は彼らに言いました。

角栄氏:「こういう場面になると、大学出のインテリは全然ダメだなぁ・・・。」ε=( ̄。 ̄ )

大平氏:「じゃあ、いったいどうすればいいんだ?奴らは手強いぞ、一筋縄ではいかない・・・。」(´・ω・`)

角栄氏:「それを考えるのが大学出の諸君じゃないか~・・・。」( `益´)

一同、爆笑。

角栄氏:「なぁに、ここまで来たら譲歩する必要はない。とことんやってダメなら観光旅行に来たと思えばいい。俺が全責任を持つ!」ε=(。・`ω´・。)

さて、田中首相と周恩来首相との会談では、「日本軍国主義者の中国侵略によって、中日両国人民がひどい災難をこうむった。○×市では○百人の中国人が殺された、△○市では○千人の中国人住民が酷い目に遭った・・・」などと、都市名と数字を挙げて、どれだけ日本から酷い目に遭わされたか、などと苦情を並べ立てて責めてくる周恩来首相。

黙って聞いていた日本側の外交団は、中国側の次から次へと出てくる恨み辛みにウンザリしてきます。(´ω`;)(-"-;A

そこで角栄氏はブチ切れ、一気に捲くし立てます。(。・`ω´・。)

角栄氏:「いい加減にしてもらえませんかなぁ・・・。我々は貴国と仲良くなろうとして、こうしてはるばるやって来ておる!それをあんなことされた、こんなことされた・・・などと文句ばかり言われちゃ交渉は進まないじゃないですかあっ!! ・・・私は21歳の時(1939年)に騎兵部隊の二等兵として満州に赴任していた。その時、日本軍の大砲や、私たちの鉄砲の先(銃口)はどっちを向いていたか分かりますか!?」ヾ(。`Д´。)ノ彡☆

周恩来:「えっ?・・・・・・。」( ・・;)

角栄氏の凄みにその場がシーンとなる。
少しの間をおいて、角栄氏はドスのきいた声でゆっくりと続けます・・・

角栄氏:「・・・ ソ 連 の 方 を 向 い て お っ た ん で す よ !!」(ಠωಠ)☝︎

中国側の首脳:「!・・・・・・・・・。どわーっはっはっは!!!」ヾ(≧▽≦)ノ

その意味を知った中国側首脳は一同大爆笑。

当時、中国とソ連は同じ社会主義国でありながら、関係はシックリいっていませんでした。
その事情を知っていた角栄氏は、中国側の弱点を突き、押され気味の日本の立場を一気に優位に立たせました。(角栄氏は中国をソ連の侵略から守るために満州にいた、という意味)

翌日、国家主席の毛沢東が出てきます。(面会したのは角栄首相、大平外相、二階堂幹事長)

毛沢東主席:「周恩来同志とのケンカは済みましたか?ケンカをしないとダメです。ケンカをしてこそ初めて仲良くなれる。」

紆余曲折はあったものの、日中両国の粘り強い交渉によって中国との国交正常化は成されました。

ほどなくして、日中友好の印として、二頭のパンダが贈られました。

by めい (2023-04-06 05:33) 

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