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『古代史ホツマツタヱの旅 第2巻』を読む [本]


《出雲神話を整理してみたいと思います。ホツマツタエは、基本的に天上界の出来事としては記されてはいません。すべて地上において現実にあった話とされています。これに対し記紀では、ソサノヲは最初に天上界から追いやられてこの国に来た神(人)として描かれています。ソサノヲの訪れた地が出雲なのです。記紀では、ソサノヲの子のオホナムチが、天上界から遣わされた使者に国譲りを約束しています。しかし、ホツマツタエでは現実の朝廷から遣わされた使者に国譲りを約束するのです。記紀とホツマツタエの決定的な違いは、出雲の記述を見る限りにおいて、神話と史実の違いということになります。ホツマツタエ的解釈からすると、記紀が、史実を神話にしてしまったために、この国の成り立ちが良く分からなくなってしまった、と言うことになります。》

記紀によって神話的世界として語られてきた伝承が、実は今われわれが生きている世界とつながる世界で、現実に起きた史実であったことが、著者の現地を訪ねる旅を通して実感させられる。このインパクトがすごい。

「魚座から水瓶座の時代に入って、思い込まされてきた世界が崩れ落ち、自身の深いところ、本当の自分の意志に従うことで道が開ける時代に代わってゆく」というマドモアゼル・愛。ホツマ世界への開眼は、まさにそのことを象徴している。

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横山大観 絵画 『神州第一峰・右隻』 送料無料 【複製】【美術印刷】【巨匠】【横長】 商品詳細 掛け軸の販売・絵画の通販 掛軸堂 画廊|本店《足立美術館は、どじょうすくいで有名な安来にあります。美保神社からですと、車で四〇分ほどかかります。この庭園は、「庭園日本一」といわれていることからも、その隙のない美しさは、目を見張るものがあります。しかし、古代史の世界に魅力を感じている私達にとっては、その隙のなさに、どこか馴染みにくいものがあったことは確かです。しかし、庭園から美術館に移り、足立氏の集めた横山大観の絵画を拝観した時に、これはまさに古代の心そのものだ、と思ったのです。横山大観は、明治において岡倉天心と共に活躍した日本画の巨匠ですが、彼の描く絵画の世界は、古代の日本人の心を描いているようで、大観と古代には、共通する心の世界があったように思えたのです。実はここで、機内から偶然見た富士山を再び絵画で見ることとなったのです。「神州第一峰」と名づけられたこの絵は、雲間から突き出た富士山と、太陽が描かれていて、私達の見た富士山そのものでした。それは、あたかも横山大観が古代の日本、天照大神(太陽)と富士山を思い描いたのではないか、などと想像したくなるような美しい絵でした。彼はこの国をこよなく愛していて、日本というものを、いろいろな表現を持って絵に表わした人でした。彼は次のようなことを言っています。「富士の名画というものはあまりない。それは形ばかり写すからだ。富士を描くということは、自分の心を描くことなのだ」》

《出雲神話を整理してみたいと思います。ホツマツタエは、基本的に天上界の出来事としては記されてはいません。すべて地上において現実にあった話とされています。これに対し記紀では、ソサノヲは最初に天上界から追いやられてこの国に来た神(人)として描かれています。ソサノヲの訪れた地が出雲なのです。記紀では、ソサノヲの子のオホナムチが、天上界から遣わされた使者に国譲りを約束しています。しかし、ホツマツタエでは現実の朝廷から遣わされた使者に国譲りを約束するのです。記紀とホツマツタエの決定的な違いは、出雲の記述を見る限りにおいて、神話と史実の違いということになります。ホツマツタエ的解釈からすると、記紀が、史実を神話にしてしまったために、この国の成り立ちが良く分からなくなってしまった、と言うことになります。》

《ホツマツタエの旅をすることにより、ホツマツタエの記述が史実であることを、自分の中ではすでに確認しています。それは今でもその記述にちなんだところが、神社を中心として存在していることにもあります。また、その地を訪れることにより、古代の事実を語りかけてくれる何かを感じもします。このことを実感しながら旅をすることが、ホツマツタエの旅の魅力ではないか、と私自身ひそかに思っているところです。》

《ホツマツタエからわかるクニトコタチから始まる日本の歴史は、多くのその後の子孫、アマカミはじめその一族が、国のために農業をもって、発展させていこうとした、歴史なのです。他国を侵略したりして、国土を拡大したのではなく、自然を巧みに利用して、日本の気候に合わせて、農業で持って国を発展させてきました。その過程において、様々な人間ドラマがあり、時として、人の心の中にうらやみやねたみが生まれ、国内の内乱にまで発展しましたが、それに真剣に取り組んだアマカミ(国の指導者)の歴史がホツマツタエなのです。こうした歴史を知れば、戦争の勝利祈願に古代のアマカミが利用されることなど、なかったのではないかという結論が導き出されることと思います。古事記や日本書紀においては、日本武尊神武天皇の話のほうが、とりあげる立場の人(権力者)にとっては都合のよいことがあったのでしょう。二人とも武勇をもって、国に貢献したかのようなイメージが記紀からは伝わってきがちなのでしょう。また、記紀では古代のアマカミ、クニトコタチ、イサナギ、イサナミ、アマテルカミは皆実在した人ではなく、神々にされてしまっているのですから。神々にされて、事実が隠されていては、真実を理解することは不可能です。私が、本書を執筆したいと思ったのは、ここにあります。日本には古代において国造りをした、偉大な人々がいて、その歴史がホツマツタエとして残っている。これほど素晴らしいことはないのではないでしょうか。恐らく海外においても、古代の人々はその多くが、その土地で農業をもって一族を維持し、豊かにしていこうとしていたことでしょう。しかしその多くが侵略され、国を失ってしまったようです。悲しいことです。》

《歴史ではぺリシテ人は、大変好戦的でイスラエルの民を苦しめたとされています。平和な民族が国を失うことにより、一転して戦いに明け暮れる民族に変わっていってしまった、と思うと本当に悲しいことです。この国に再び目を向けてみますと、大戦で負けてしまったものの、日本の文明が完全に破壊されてしまったわけではありません。依然として古代の血を引いた人々が日本に住み続け、なんとか平和が保たれています。このことは大変貴重なことと思います。残念なことは、日本の農業が衰退の傾向にあることでしょう。もう一度、農業を復活させて、食の面においても、この国が豊かになることは、次の世代のためにも大切な事と思います。》

《民俗学者の谷川健一氏は、日本経済新聞の「私の履歴書」において「ウブスナ」の語源の発見を思い出深く語っていますが、その発見場所は敦賀半島の周辺でした。トヨタマ姫が御子(ウガヤフキアハセズ)をお産みになった産屋は敦賀半島近くの気比の松原にありました。古代よりこの地においては、お産にあたっては納屋を建て、砂地にワラシベをのせ、その上にムシロをひいて天井より吊り下げられた力綱を持って分娩したと記されていました。ウブスナは産砂のことだったのです。記紀には産屋はお産が終わるごとに、焼いたとされていますが、谷川氏は昭和四六年の現地調査で土地の古老よりそのことを聞き、現地を訪れることがいかに重要かと述べています。トヨタマ姫の御子の名は、ウガヤフキアハセズと言い、ウガヤは産屋の意味なのです。》

春秋(日経

そのとき、長年の謎が解けた。敦賀半島に残る出産のための小屋を調べて地元の人の話を聞くうち、ウブスナという言葉の語源をつきとめる。大家の柳田国男がどうしても分からないと嘆いた不思議な言葉だった。民俗学者の谷川健一さんが本紙に書いた体験談である。▼納屋での出産は古くからの風習で、地域によっては昭和40年代ぐらいまで残っていた。海浜の砂を敷いてムシロや布団を運び、分娩する。その砂の名を聞くと、小屋の持ち主は「ウブスナ」と答えた。谷川さんは驚いて、謎の言葉が「産小屋(うぶごや)の砂」だと気づく。これが土地の神、安産の神「産土神(うぶすながみ)」の起源になったようだ。▼七五三シーズンである。今日、参詣する家族も多いだろう。地域の産土神に詣でて、3、5、7歳の子供の成長を祈る。江戸時代に武家から町家に広がった。当時は栄養や医療も十分でなく、無事に育つのも難しかった。親は懸命で、どの神社も混雑した。参道にはアメの露店などが並んで、ずいぶんにぎやかだったらしい。▼少子化が進んだ今の親は、もっと熱心かもしれない。その中身もかなり変化した。着物やドレスで着飾り、家族で記念撮影する。神社に参るよりも、写真が優先という例も多い。それでも成長の無事を願う親心は変わらない。いにしえの海の砂、ウブスナから始まった習俗が、見えないところで、遠く現代まで続いている。》

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終えていくうお座時代2000年「最後の始まり」

 2022/11/27
https://www.youtube.com/watch?v=twzyr4W5pz8
プラトン年と言われる地球の歳差現象を元にした25600年の長周期があります。一星座の時代がおよそ2160年ともなる長い周期で、現在はうお座時代の終わりを迎えています。 うお座時代とは、宗教や経済、学問や医学を、都合の良い信念体系に取り込み、人々にまるで宗教のようにそれを信じ込ませてきた2000年といえます。 2000年の間にその方法は巧みとなり、はじめは神の怒りを人々に広めることで恐れさせ、法王が神の代理人となることで、人々のエネルギーを教会に向けさせることに成功したわけです。 次に経済と金融の支配に及び、銀行システムにより架空の金と価値を信念体系に取り込み、人々を経済奴隷の方向に導きました。そして最終的には紙切れに価値があるという宗教に人々を導いたことになります。 さらに学問や医学を権威化させることで、権威者が人々の頭脳や考えを支配し、科学的態度を独占したり取り締まったりできるようにしたわけです。 以上、三つのインチキのような構造は、だましのうお座時代の基幹となって発展していきましたので、今でも、実は私たちは宗教や信仰や幻想の時代を生きているのであって、真実や本当の事実に沿った形での認識で暮らしているわけではないのです。 先日も、国立大学の名誉教授が心の底からの怒りを厚労省職員にぶつけていました。福島京大名誉教授が厚労省にブチ切れるその言い分は、「きちんとした学問的な見地にたってやれよ」と、まるで、あなた方がやっていることは、科学的でも医学的でもまったくない、と怒ったわけです。 国も医学も本当のところは、宗教と同じじゃないか、、、、の暴露でもありました。 このように、時至れば、うお座時代は終えていく流れとなり、支配層は冥王星がやぎ座にあるうちにそれを完成させなければ、もう次の2000年の時代の突入に対抗することも、流れを逆転することもできなくなっているのです。今が最終の本当の最後の数年ということになります。 逆にこれまで騙され続けてきた一般の人々にとっては、解放の時期が迫っていることであり、個々が自身の思いや考えにより、古い信念体系から来る脅しや巻き返しに乗ることなく、進まれることを願わずにはいられません。 何かを信じて判断したり、行動する時代ではもうなく、自身の深いところ、本当の自分の意志に従うことで道が開けるようになっていくようになっていると思います。

 


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