鈴木岳啾さん(宮内岳鷹会) [弔辞]

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鈴木岳啾こと鈴木利秋さん、私ども南陽宮内岳鷹会が利秋さんから最後に御指導いただいたのは、まだ一ヶ月も経たない十月二十四日のことでした。十一月七日には一緒に宮内岳鷹会二十五周年記念行事として、熊野大社から斎藤茂吉の生まれた上山の金瓶まで、「宮内から斎藤茂吉を想う」吟行を行うことになっていました。その時吟ずる歌のいくつかは、利秋さんが節づけをしてくれたものでした。茂吉ゆかりの場所で、利秋さんの思いがこもった節でみんなが吟ずることを、利秋さんは、どんなに楽しみにしていたかしれません。しかしその日利秋さんは、体調すぐれず参加を断念せざるをえませんでした。その知らせを聞いたわれわれ一同、ほんとうに落胆したことでした。
数年前からの利秋さんの病いとの闘いはわれわれをいつも勇気づけてくれていました。平岳謙先生は、相次ぐ病にもめげずに詩吟に打ち込む利秋さんを例に、詩吟の力のすばらしさをわれわれに教え諭してくださいました。だからこのたびもきっと、利秋さんは病に打ち勝って、また一緒に詩吟を楽しむことができるようになると確信していました。利秋さんは、厳しいであったろう病について語る時、われわれの前では決してつらい顔を見せず、いつも笑みをたたえて語ってくれていたように思います。それだけに訃報を聞いた驚きは大きかったです。
宮内岳鷹会二十五年の歴史と共に歩んでこられた利秋さんにとっての詩吟は、趣味のレベルを超えた人生そのもののようにも見えていました。その姿から学ぶことも多くありました。ここぞという時に聞かせてくれた、なんともいえない繊細な節回しの利秋さんの声は今もわれわれの心の中で響いています。あの利秋さんの声は、利秋さんの笑顔と共に私どもの中でいつまでも生き続けることと思います。
二十五周年の吟行のために、斎藤茂吉の歌につけてくれた利秋さんの節調は、正直のところ、決しておぼえやすいものではありませんでした。しかし、なんども吟じているうちに、利秋さんの思いが通じてきました。まだまだ不十分ではありますが、その中のひとつをみんなで吟じて聞いていただきたいと思います。そしてつらいですが、「な き人を」を詠じて、お別れとしたいと思います。
利秋さんに見習い、われわれ一同みんな、生きている限り詩吟と仲良くして生きたいと思います。どうかしっかり見守ってください。そして応援してください。
利秋さんが節づけしてくれた斎藤茂吉の「みちのくを」と、お別れの「亡き人を」を吟じて、利秋さんの御霊前に捧げます。
令和四年十一月二十日
数年前からの利秋さんの病いとの闘いはわれわれをいつも勇気づけてくれていました。平岳謙先生は、相次ぐ病にもめげずに詩吟に打ち込む利秋さんを例に、詩吟の力のすばらしさをわれわれに教え諭してくださいました。だからこのたびもきっと、利秋さんは病に打ち勝って、また一緒に詩吟を楽しむことができるようになると確信していました。利秋さんは、厳しいであったろう病について語る時、われわれの前では決してつらい顔を見せず、いつも笑みをたたえて語ってくれていたように思います。それだけに訃報を聞いた驚きは大きかったです。
宮内岳鷹会二十五年の歴史と共に歩んでこられた利秋さんにとっての詩吟は、趣味のレベルを超えた人生そのもののようにも見えていました。その姿から学ぶことも多くありました。ここぞという時に聞かせてくれた、なんともいえない繊細な節回しの利秋さんの声は今もわれわれの心の中で響いています。あの利秋さんの声は、利秋さんの笑顔と共に私どもの中でいつまでも生き続けることと思います。
二十五周年の吟行のために、斎藤茂吉の歌につけてくれた利秋さんの節調は、正直のところ、決しておぼえやすいものではありませんでした。しかし、なんども吟じているうちに、利秋さんの思いが通じてきました。まだまだ不十分ではありますが、その中のひとつをみんなで吟じて聞いていただきたいと思います。そしてつらいですが、「な き人を」を詠じて、お別れとしたいと思います。
利秋さんに見習い、われわれ一同みんな、生きている限り詩吟と仲良くして生きたいと思います。どうかしっかり見守ってください。そして応援してください。
利秋さんが節づけしてくれた斎藤茂吉の「みちのくを」と、お別れの「亡き人を」を吟じて、利秋さんの御霊前に捧げます。
令和四年十一月二十日
南陽宮内岳鷹会
会 長 鹿又 源岳
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