新・mespesadoさん講義(195)(承承前)「息苦しさから解放された世界」のために [mespesado理論]
なぜか「省察(せいさつ)」の言葉が浮かびました。前記事でふと書き足したことが、mespeasadoさん珠玉の「省察」を産み出しました。
* * * * *
968 名前:mespesado 2022/10/30 (Sun) 09:24:04
>>966
猿都瑠さんの >>961 に始まるこのテーマについて、はぐらめいさんがブログで紹介されています↓
https://oshosina2.blog.ss-blog.jp/2022-10-29-1
そこでは、このテーマに関連して、深田萌絵さんの動画↓
【朝話】
●●業界も外国人参入,日本人競争激化 ※27,28はお休み頂きます。
https://www.youtube.com/watch?v=B-cXyR8xMiU
が紹介され、「ハングリー精神の欠如=インセンティブの喪失」と添えておられます。そこで早速この動画を見てみることにしました。
「●●業界」とは「美容業界」でした。日本の美容業界では業務終了後にヘアーカットの練習をするのが習わしになっていて、それは自発的な修行の扱いで、残業とは見做されなかったのに、例の電通の女性の自殺事件が切っ掛けとなり、若い人にこの美容業界の習慣をも残業とみなすべきだと思う人が増えてきて、なかなか一人前と扱われないことに嫌気がさして次々転職していく人が増え、スタッフとなる人材が不足するようになってきた。困った美容業界は、外国人を入れて人材不足を補おうとした。ここで深刻なのは、美容業界に限らず外国人の方が優秀で、日本人より中国人の方が呑み込みも早いし何より向上心が強い。どうなってしまったんだ。これは実はハングリー精神の有無にある。中国でも韓国でもすごい競争社会なので、彼らは真剣さが違う。これに対して恵まれた日本ではそこまでハングリー精神が無いので採用時でも明らかに外国人の方が採用したくなるような状況だ。一方の日本は昼間怠けて終業時間から働き出して残業代を稼ぐようなことが常態化する有様。そこで深田萌絵さんはこう言います:
--------------------------------------------------------------------
日本人側にも問題があるんですよ。日本の教育にも問題があって、一番の問
題って、教育と就労環境ですよね。この仕事して自分が何になれるんだって
いうイメージ、自由なイメージを持たせてあげないっていうね、そこに問題
があるんだと思います。そういうのは個々が勝手に抱けばいいことだってい
うこともあるかんもしれないんだけど、やっぱりその、自分をその、一生こ
こで下働きなのか、っていうイメージを抱かせたりするよりは、そのここで
自分が技術を勉強して自分の腕を磨いたら、ここまで稼げるようになるんだ
とか、そういうビジョンですよね、自分は雑誌の有名スタイリストになりた
いんだ、なれるんだというビジョンを描いてあげるとか、そういったことを
していかないといけないですし、夢が叶うんだという、今の日本では高望み
しても夢が叶いませんということが前提になっているので、そうじゃなくて、
望めば夢が叶うんだよ、だから努力する意味ってあるんだよと、そういうこ
とも教育の中に組み込んだ行かないといけないんじゃないかなと思います。
--------------------------------------------------------------------
こういう構造的な問題提起と教育における改善提案をしている動画でした。
>>966
猿都瑠さんの >>961 に始まるこのテーマについて、はぐらめいさんがブログで紹介されています↓
https://oshosina2.blog.ss-blog.jp/2022-10-29-1
そこでは、このテーマに関連して、深田萌絵さんの動画↓
【朝話】
●●業界も外国人参入,日本人競争激化 ※27,28はお休み頂きます。
https://www.youtube.com/watch?v=B-cXyR8xMiU
が紹介され、「ハングリー精神の欠如=インセンティブの喪失」と添えておられます。そこで早速この動画を見てみることにしました。
「●●業界」とは「美容業界」でした。日本の美容業界では業務終了後にヘアーカットの練習をするのが習わしになっていて、それは自発的な修行の扱いで、残業とは見做されなかったのに、例の電通の女性の自殺事件が切っ掛けとなり、若い人にこの美容業界の習慣をも残業とみなすべきだと思う人が増えてきて、なかなか一人前と扱われないことに嫌気がさして次々転職していく人が増え、スタッフとなる人材が不足するようになってきた。困った美容業界は、外国人を入れて人材不足を補おうとした。ここで深刻なのは、美容業界に限らず外国人の方が優秀で、日本人より中国人の方が呑み込みも早いし何より向上心が強い。どうなってしまったんだ。これは実はハングリー精神の有無にある。中国でも韓国でもすごい競争社会なので、彼らは真剣さが違う。これに対して恵まれた日本ではそこまでハングリー精神が無いので採用時でも明らかに外国人の方が採用したくなるような状況だ。一方の日本は昼間怠けて終業時間から働き出して残業代を稼ぐようなことが常態化する有様。そこで深田萌絵さんはこう言います:
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日本人側にも問題があるんですよ。日本の教育にも問題があって、一番の問
題って、教育と就労環境ですよね。この仕事して自分が何になれるんだって
いうイメージ、自由なイメージを持たせてあげないっていうね、そこに問題
があるんだと思います。そういうのは個々が勝手に抱けばいいことだってい
うこともあるかんもしれないんだけど、やっぱりその、自分をその、一生こ
こで下働きなのか、っていうイメージを抱かせたりするよりは、そのここで
自分が技術を勉強して自分の腕を磨いたら、ここまで稼げるようになるんだ
とか、そういうビジョンですよね、自分は雑誌の有名スタイリストになりた
いんだ、なれるんだというビジョンを描いてあげるとか、そういったことを
していかないといけないですし、夢が叶うんだという、今の日本では高望み
しても夢が叶いませんということが前提になっているので、そうじゃなくて、
望めば夢が叶うんだよ、だから努力する意味ってあるんだよと、そういうこ
とも教育の中に組み込んだ行かないといけないんじゃないかなと思います。
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こういう構造的な問題提起と教育における改善提案をしている動画でした。
私の感想ですが、まず外国人の方が優秀というのは、ある程度「生存者バイアス」の問題があると思います。日本も同じ競争社会にすればいいんだ、という新自由主義的な発想では、競争に負けて落ちこぼれて生活できない人間を大量に生んでしまうという、今まさに維新のような新自由主義を煽る政治が加速するだけで、決して国民は幸せにならない。むしろ豊かになると、ハングリー精神が失われるのは人間の性(さが)として必然の流れです。
そもそも産業が発展するには、もともと人海戦術に依存するところが大きかった。そんな時代には人々に努力を煽ることは、結果として生産力が上がるので、国民みなにとってメリットがあった。そして、そのような時代は人類にとってあまりにも長かったから、本能にもがっちり組み込まれた。それが「ハングリー精神」でしょう。自分が生き残るために、必死で働こうという自発的な意識が発生する、という本能。しかし、今の日本のように、機械化が極限まで進んだ国では、みながハングリー精神を持っても、椅子が限られているので競争が激化するだけで、人間が過剰になるだけでなく、競争に勝つことだけを目的にした無意味な努力に皆が巻き込まれなければならない。つまり、単に本能に従った「ハングリー精神」を「復活」させようという政策ではうまくいかないと思うのです。ではどうすればよいのか。ハングリー精神を単なる本能のレベルに留まらせず、社会的な仕組みとしてがっちり組み込んでいる、その根本の仕組みとは何か。それが「オカネ」でしょう。一生懸命にならないとオカネが稼げない。逆に一生懸命働くとオカネが稼げる。高度成長期はこれがうまく機能していました。ところが経済の相転移以降は、一生懸命働いてもオカネが稼げなくなった。そこで日本はどうしたか。もし本当に一生懸命働いているならお金が稼げるはずなのに実際は稼げない!これは実は一生懸命働いてないからだ!だからもっと働かせよう!そのためには一生懸命働かないと稼げないどころか生活できなくなるくらい締め付ければいいのだ!もっと努力させよう!←という方向に突き進んでいるのが今の新自由主義の世界です。つまり、新自由主義の推進やハングリー精神の復活では、技術の進んだ今日の日本の問題点の解決にならない、ということです。ではどうすればいいのか?
「新自由主義」の方は、イデオロギーであり、人為的な政治思想だから変更可能です。しかし「ハングリー精神」の方は、本能に裏打ちされているのでこれを否定するのは自然の摂理に逆らうのでうまくいかない。むしろ、これはうまく機能するように活用した方が得策です。しかし、萌絵さんの考えにあるハングリー精神の復活というのは、努力すればここまで稼げるとか有名になれるということを教育によって煽るべきだ、というものですが、これは如何なものかと思います。だって、いくら努力しても、(人より)稼げるのも有名になれるのも、あくまでも一部の人、特に後者はほんの一握りの人でしかありません。大半は努力してもうまくいかないで挫折して終わり。人生とはそんなもんだ、世の中の厳しさを知るのも教育だ、では結局新自由主義に他ならない。何の解決にもなりません。いや、それどころか、努力すれば必ず稼げるよ、有名になれるよ、と教育の場で教えたのでは、結果的にウソを教えたことになる。あれだけGHQの洗脳を批判しながら、新たなウソを教えたのでは何もならないではないですか。
じゃあどうすればいいのか。そのヒントになるのが「努力すればここまで稼げる」というセリフにあります。これ、南の島でゆったりと魚を取って楽して暮らしていた未開人のところに文明人がやってきて、もっと努力して商売したら儲かるよと教えたら、儲けてどうすんだと質問されて金持ちになればゆっくり遊んで暮らせるよ、と答えたら、何だ、それなら今と同じじゃんと言われてしまった、という逸話を思い起こさせますよね。豊かな時代に生まれた若い人は、この逸話の未開人と同じなんですね。ここまで稼げる、っていうけど、稼いでどうするの?というところまで来ているわけです。それなのに、この稼ぐこと至上主義の「文明人」たちは、「そんなにハングリー精神が無いなら楽して生活できないようにしてやる」などと、稼ぐこと至上主義というイデオロギーの方を死守しようとして、既に満たされている楽な生活の方を奪おうとする。本末転倒です。楽に生活できるなら何が不足なんですか?必要なのは、機械で生産しているこの体制を維持することと、技術の進歩を保証できる仕組みを確保することであって、そのために人類が持つ「ハングリー精神」の本能を利用することであるはずです。オカネも、この目的を叶えるための手段でしかないはず。決して「オカネを稼ぐこと」が目的ではないんだから、ましてやこれを教育で煽ってどうする、という話ですよ。ハングリー精神の本能というのは、本当は「人間の脳は、これが今必要なことなんだよということを真に理解すると、他人に言われなくても自分に鞭打たなくても、脳が勝手に努力して成し遂げてしまおうとする」という脳の仕組みのことです。だから、「オカネが儲かるよ」とか「有名になれるよ」などと教育の場で煽る必要なんか無い。そんな、大半の人にとっては結果的にウソになってしまうようなことを教えるんじゃなくて、もっと素直に「今の世の中では人が生きていくためにこれとこれが必要で、そのうちこれとこれは機械がやってくれるけれど、これとこれは人間の智慧や工夫が必要になっている。これを維持したり発展させるために若い皆さんの力が必要なんだよ」ということをきちんと納得できるように教えればいいんです。オカネだ、有名人になるだ、そんなことは、それこそそれに興味がある人間だけが勝手に目指せばよい。そんなことより我々が享受している文明を維持・発展することが人間の使命なんだよ、というアタリマエのことを教えればいいだけのことではないでしょうか。これができていないのは、オカネのウソでバイアスがかかり、そこに人より優位に立ちたいという、支配本能に世の中も教育も支配されているから本質が見えなくなっているのであって、遺憾ながら、深田萌絵さんも、この呪縛から真に逃れてはいないな、と思いました。
972 名前:mespesado 2022/10/30 (Sun) 12:15:20
>>968 の続きというか補足です。
正しい教育の方向はそれでいいとしても、現実には日本にやってくる外国人は実際にハングリー精神が旺盛で、その結果、能力的にもこれに日本人が負けて、その結果職を彼らに奪われているのは事実じゃないか。これにどう対処するんだ、という意見もあると思います。ですから、教育の場で、単に「今の世の中では人が生きていくためにこれとこれが必要で、そのうちこれとこれは機械がやってくれるけれど、これとこれは人間の智慧や工夫が必要になっている。これを維持したり発展させるために若い皆さんの力が必要なんだよ」ということを教えるだけでは不十分であることは確かです。それなら、これに加えて何を教えればよいのか?一つは外国人が入って来ないように規制することですが、これは教育の問題ではないし、そのことを教育の場で正当化するのは難しい。それこそ「外国人を排除する」という差別、今日日(きょうび)の流行りであるポリコレに見事に引っかかってしまいます。では何を教えるべきか。そもそも何を教えるか以前の問題として、教える側が何をどうしたらよいかを考えるべきです。ハングリーな人がそうでない人より真剣に学び、真剣に働く、というのは紛れもない事実です。そして企業は真剣に学び、真剣に働く人を欲しがるのも、これまた事実であり、何ら非難すべきことではありません。しかし根本的な問題として、企業は何のためにあるのか?儲けを出すためにある、というのは、資本主義社会を築いた資本家の立場であって、大多数の国民にとっては、企業とは必要なモノやサービスを生み出し、その生産物を国民が使えるようにするために存在します。だから、これを直接理想化しようとして企業は国家がすべて仕切るようにしてカネ儲けから切り離した共産主義の国では、先述の「ハングリー精神」の本能によって、働かなくても生活できるなら働かない、となって企業が機能しなくなってしまったわけです。だからインセンティブは確かに必要なんですが、これは働いた個人にすべての報酬が行くという形じゃなくても機能するんだ、ということを証明したのが高度成長期の日本ですね。サラリーマンは企業にほとんど属するような形でチームとして頑張った。それから基礎科学研究の分野だってそうです。これは日本だけじゃない。全世界でそうですが、昔はノーベル賞なんて個人の発明発見に対して与えられていたけれど、今日のノーベル賞はすべて組織や複数の研究者のコラボに対して与えられています。もう個人に出来ることには限界があるということがわかっているのですから、人は自分の得意とするミッションが与えられ、協働作業で結果が得られれば満足する生き物なんですね。何も、新自由主義者が主張するような、皆が利己的になる必要なんて全然無い。要は、承認欲求が満たされればいいんですよ。そしてこの承認欲求なんですが、これが満たされないのには本人に責がある場合と周囲に責がある場合がある。本人に責があるのは自分は何をやってもダメだ、と卑屈になること、そして周囲に責があるのは妬み嫉みの感情です。でも、これってどちらも「成功することが善、失敗することが悪」という善悪の二元論にそまっているから起きる現象なんですね。成功や失敗なんて結果論に過ぎない。使命感と興味を持って行動することが大事なんですね。これ、これこそが自分がやるべきことなんだ、自分はそのために生まれてきたんだ、と本気で思っていれば、脳が勝手に努力して、その人なりの何らかの成果が出ます。ただしそれが世間で言われているところのいわゆる成功と呼ばれるものではないかもしれないが、自分に充実感が得られることは間違いない。それで充分なのではないでしょうか?ただ、これを新自由主義のように勝者総取りみたいなルールにすると、世間で言う成功を目指して皆が同じ方向に向かって暴走し、正攻法で勝てないと思った人たちによる足の引っ張り合いが起きる。だから「成功」に拘ることは百害あって一利なしなんです。もし教育で伝えるべきこととして追加するとしたら、このような話も大切ですね。そして最後に「陰謀論」w。といっても具体的な陰謀論と呼ばれている話をするんじゃなくて、人間は支配欲というものがあって、なまじ財力や権力を握ると民主国家においても財力や権力を行使して政府をも自分の支配下に置こうとする人間がどうしても現れる。彼らはいかにしてメディアなどを通じていかに騙して自分の支配を完成させようかと企む。これは人間の性なのでどうしてもそういう人間は現れるのだから、そのことを前提にして自分を防衛しなければならない。クヤシイが、それが世の中というものだから、知識を増やし、勘を養い、アンテナを張って、このような人たちに騙されないように用心することも忘れないでね、とクギを指すところまで教育に含める。これで万全というわけにはいかないけれど、もし教育というものをこんな風に改革出来たら、我々の生活はもっと視界が広がった、息苦しさからも解放された世界になるんじゃないかな、と妄想します。
そもそも産業が発展するには、もともと人海戦術に依存するところが大きかった。そんな時代には人々に努力を煽ることは、結果として生産力が上がるので、国民みなにとってメリットがあった。そして、そのような時代は人類にとってあまりにも長かったから、本能にもがっちり組み込まれた。それが「ハングリー精神」でしょう。自分が生き残るために、必死で働こうという自発的な意識が発生する、という本能。しかし、今の日本のように、機械化が極限まで進んだ国では、みながハングリー精神を持っても、椅子が限られているので競争が激化するだけで、人間が過剰になるだけでなく、競争に勝つことだけを目的にした無意味な努力に皆が巻き込まれなければならない。つまり、単に本能に従った「ハングリー精神」を「復活」させようという政策ではうまくいかないと思うのです。ではどうすればよいのか。ハングリー精神を単なる本能のレベルに留まらせず、社会的な仕組みとしてがっちり組み込んでいる、その根本の仕組みとは何か。それが「オカネ」でしょう。一生懸命にならないとオカネが稼げない。逆に一生懸命働くとオカネが稼げる。高度成長期はこれがうまく機能していました。ところが経済の相転移以降は、一生懸命働いてもオカネが稼げなくなった。そこで日本はどうしたか。もし本当に一生懸命働いているならお金が稼げるはずなのに実際は稼げない!これは実は一生懸命働いてないからだ!だからもっと働かせよう!そのためには一生懸命働かないと稼げないどころか生活できなくなるくらい締め付ければいいのだ!もっと努力させよう!←という方向に突き進んでいるのが今の新自由主義の世界です。つまり、新自由主義の推進やハングリー精神の復活では、技術の進んだ今日の日本の問題点の解決にならない、ということです。ではどうすればいいのか?
「新自由主義」の方は、イデオロギーであり、人為的な政治思想だから変更可能です。しかし「ハングリー精神」の方は、本能に裏打ちされているのでこれを否定するのは自然の摂理に逆らうのでうまくいかない。むしろ、これはうまく機能するように活用した方が得策です。しかし、萌絵さんの考えにあるハングリー精神の復活というのは、努力すればここまで稼げるとか有名になれるということを教育によって煽るべきだ、というものですが、これは如何なものかと思います。だって、いくら努力しても、(人より)稼げるのも有名になれるのも、あくまでも一部の人、特に後者はほんの一握りの人でしかありません。大半は努力してもうまくいかないで挫折して終わり。人生とはそんなもんだ、世の中の厳しさを知るのも教育だ、では結局新自由主義に他ならない。何の解決にもなりません。いや、それどころか、努力すれば必ず稼げるよ、有名になれるよ、と教育の場で教えたのでは、結果的にウソを教えたことになる。あれだけGHQの洗脳を批判しながら、新たなウソを教えたのでは何もならないではないですか。
じゃあどうすればいいのか。そのヒントになるのが「努力すればここまで稼げる」というセリフにあります。これ、南の島でゆったりと魚を取って楽して暮らしていた未開人のところに文明人がやってきて、もっと努力して商売したら儲かるよと教えたら、儲けてどうすんだと質問されて金持ちになればゆっくり遊んで暮らせるよ、と答えたら、何だ、それなら今と同じじゃんと言われてしまった、という逸話を思い起こさせますよね。豊かな時代に生まれた若い人は、この逸話の未開人と同じなんですね。ここまで稼げる、っていうけど、稼いでどうするの?というところまで来ているわけです。それなのに、この稼ぐこと至上主義の「文明人」たちは、「そんなにハングリー精神が無いなら楽して生活できないようにしてやる」などと、稼ぐこと至上主義というイデオロギーの方を死守しようとして、既に満たされている楽な生活の方を奪おうとする。本末転倒です。楽に生活できるなら何が不足なんですか?必要なのは、機械で生産しているこの体制を維持することと、技術の進歩を保証できる仕組みを確保することであって、そのために人類が持つ「ハングリー精神」の本能を利用することであるはずです。オカネも、この目的を叶えるための手段でしかないはず。決して「オカネを稼ぐこと」が目的ではないんだから、ましてやこれを教育で煽ってどうする、という話ですよ。ハングリー精神の本能というのは、本当は「人間の脳は、これが今必要なことなんだよということを真に理解すると、他人に言われなくても自分に鞭打たなくても、脳が勝手に努力して成し遂げてしまおうとする」という脳の仕組みのことです。だから、「オカネが儲かるよ」とか「有名になれるよ」などと教育の場で煽る必要なんか無い。そんな、大半の人にとっては結果的にウソになってしまうようなことを教えるんじゃなくて、もっと素直に「今の世の中では人が生きていくためにこれとこれが必要で、そのうちこれとこれは機械がやってくれるけれど、これとこれは人間の智慧や工夫が必要になっている。これを維持したり発展させるために若い皆さんの力が必要なんだよ」ということをきちんと納得できるように教えればいいんです。オカネだ、有名人になるだ、そんなことは、それこそそれに興味がある人間だけが勝手に目指せばよい。そんなことより我々が享受している文明を維持・発展することが人間の使命なんだよ、というアタリマエのことを教えればいいだけのことではないでしょうか。これができていないのは、オカネのウソでバイアスがかかり、そこに人より優位に立ちたいという、支配本能に世の中も教育も支配されているから本質が見えなくなっているのであって、遺憾ながら、深田萌絵さんも、この呪縛から真に逃れてはいないな、と思いました。
972 名前:mespesado 2022/10/30 (Sun) 12:15:20
>>968 の続きというか補足です。
正しい教育の方向はそれでいいとしても、現実には日本にやってくる外国人は実際にハングリー精神が旺盛で、その結果、能力的にもこれに日本人が負けて、その結果職を彼らに奪われているのは事実じゃないか。これにどう対処するんだ、という意見もあると思います。ですから、教育の場で、単に「今の世の中では人が生きていくためにこれとこれが必要で、そのうちこれとこれは機械がやってくれるけれど、これとこれは人間の智慧や工夫が必要になっている。これを維持したり発展させるために若い皆さんの力が必要なんだよ」ということを教えるだけでは不十分であることは確かです。それなら、これに加えて何を教えればよいのか?一つは外国人が入って来ないように規制することですが、これは教育の問題ではないし、そのことを教育の場で正当化するのは難しい。それこそ「外国人を排除する」という差別、今日日(きょうび)の流行りであるポリコレに見事に引っかかってしまいます。では何を教えるべきか。そもそも何を教えるか以前の問題として、教える側が何をどうしたらよいかを考えるべきです。ハングリーな人がそうでない人より真剣に学び、真剣に働く、というのは紛れもない事実です。そして企業は真剣に学び、真剣に働く人を欲しがるのも、これまた事実であり、何ら非難すべきことではありません。しかし根本的な問題として、企業は何のためにあるのか?儲けを出すためにある、というのは、資本主義社会を築いた資本家の立場であって、大多数の国民にとっては、企業とは必要なモノやサービスを生み出し、その生産物を国民が使えるようにするために存在します。だから、これを直接理想化しようとして企業は国家がすべて仕切るようにしてカネ儲けから切り離した共産主義の国では、先述の「ハングリー精神」の本能によって、働かなくても生活できるなら働かない、となって企業が機能しなくなってしまったわけです。だからインセンティブは確かに必要なんですが、これは働いた個人にすべての報酬が行くという形じゃなくても機能するんだ、ということを証明したのが高度成長期の日本ですね。サラリーマンは企業にほとんど属するような形でチームとして頑張った。それから基礎科学研究の分野だってそうです。これは日本だけじゃない。全世界でそうですが、昔はノーベル賞なんて個人の発明発見に対して与えられていたけれど、今日のノーベル賞はすべて組織や複数の研究者のコラボに対して与えられています。もう個人に出来ることには限界があるということがわかっているのですから、人は自分の得意とするミッションが与えられ、協働作業で結果が得られれば満足する生き物なんですね。何も、新自由主義者が主張するような、皆が利己的になる必要なんて全然無い。要は、承認欲求が満たされればいいんですよ。そしてこの承認欲求なんですが、これが満たされないのには本人に責がある場合と周囲に責がある場合がある。本人に責があるのは自分は何をやってもダメだ、と卑屈になること、そして周囲に責があるのは妬み嫉みの感情です。でも、これってどちらも「成功することが善、失敗することが悪」という善悪の二元論にそまっているから起きる現象なんですね。成功や失敗なんて結果論に過ぎない。使命感と興味を持って行動することが大事なんですね。これ、これこそが自分がやるべきことなんだ、自分はそのために生まれてきたんだ、と本気で思っていれば、脳が勝手に努力して、その人なりの何らかの成果が出ます。ただしそれが世間で言われているところのいわゆる成功と呼ばれるものではないかもしれないが、自分に充実感が得られることは間違いない。それで充分なのではないでしょうか?ただ、これを新自由主義のように勝者総取りみたいなルールにすると、世間で言う成功を目指して皆が同じ方向に向かって暴走し、正攻法で勝てないと思った人たちによる足の引っ張り合いが起きる。だから「成功」に拘ることは百害あって一利なしなんです。もし教育で伝えるべきこととして追加するとしたら、このような話も大切ですね。そして最後に「陰謀論」w。といっても具体的な陰謀論と呼ばれている話をするんじゃなくて、人間は支配欲というものがあって、なまじ財力や権力を握ると民主国家においても財力や権力を行使して政府をも自分の支配下に置こうとする人間がどうしても現れる。彼らはいかにしてメディアなどを通じていかに騙して自分の支配を完成させようかと企む。これは人間の性なのでどうしてもそういう人間は現れるのだから、そのことを前提にして自分を防衛しなければならない。クヤシイが、それが世の中というものだから、知識を増やし、勘を養い、アンテナを張って、このような人たちに騙されないように用心することも忘れないでね、とクギを指すところまで教育に含める。これで万全というわけにはいかないけれど、もし教育というものをこんな風に改革出来たら、我々の生活はもっと視界が広がった、息苦しさからも解放された世界になるんじゃないかな、と妄想します。
2022-10-31 05:42
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