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寂聴さんの『場所』 [小田仁二郎]

今朝の山新の一面「談話室」、ノーベル文学賞のアニー・エルノー関連で、寂聴さんの『場所』が取り上げられている。あらためて仁二郎との「場所」を描いた「塔ノ沢」を開いた。

《はじめて裸を見せ合ったばかりだとういのに、この沈黙のもたらす言いようのない平安は何なのだろうと、私は心の芯まで湯のあたたかさにほとびてゆくようだった。》(180p)「ほとびてゆく」の言葉に、仁二郎と寂聴さんの間の空気感がこめられている。「潤びてゆく」と書くことを今知った。

11月12日に市民大学講座で小田仁二郎について話さねばならない。それまでに『にせあぽりや』復刻を果たすはずだったのに、もう間に合わない。たまたま昨日そのことを書いた手紙を見つけたところだった。

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金 澤 道子 様

 

前略

 初めてお手紙差し上げます。宮内の者です。昭和22年生れ、小田家からまっすぐ東に行き広い通りを右に曲がって100メートルほどのところで代々染物屋をやっています。小田家の前を通って小学校に通いました。おばあちゃんのお姿ははっきりと記憶にあります。明治24年生れの祖母も親しくしていたかもしれません。洗張りをやっていたのでお客様としてのおつきあいもあったのかもしれません。息子さんが小説家になっているとの話は子供心にも知っておりました。

 米沢の高校を出て岡山の大学に行き、以来10年ほど外で暮らしてから家に戻って染物の仕事をしているのですが、数年前から南陽市民大学の運営委員になったことから講師を務めることになり、このほど「小田仁二郎と宮内」という題で語らせていただきました。

 平成3年の除幕式での寂聴さんの講演は「週刊置賜」がていねいにテープを起こしてくれていて読むことができます。その冒頭、井筒俊彦氏との関わりが語られています。「井筒さんが褒めてくれた時ほど仁二郎のうれしそうな顔を見たことがなかった」と。井筒俊彦はとんでもない学者らしい、その人と小田仁二郎がどう関わるのか、そんなことから井筒俊彦をかじるようになってすこしずつ小田仁二郎ワールドへの視界が開けてきたように思います。現段階での私なりに理解したところをお送りしてみますのでお読みいただけたらうれしいです。

 さて、それにつけても「にせあぽりや」を特に宮内の人に読んでほしいのですが、「触手」はいろんな形で公刊されていますが、「にせあぽりや」を読むには真善美社版か「ふるさと文学館 第七巻」だけ。しかもなんとしたことか(なんらかの意図があってのこととも思えませんが)、「ふるさと文学館」の方は「にせあぽりや」のいちばん大事な最後の一節がまるっきり抜け落ちています。そんなことから、これから「小田仁二郎文学研究会」のような形をつくってゆくとして、まずはとにかく「にせあぽりや」が手軽に読めるようにしなければならない。コピーなんかよりいっそデータ化してしまったらどうか。そう思い立ったら矢も楯もたまらずとっかかってしまいました。OCRで全文読みとるところまで終りました。文字化けを直してきちんとしたデータにするのにはもう少し時間がかかると思いますが、目処は立ちました。

 そんなわけで、今後どう進めればいいか(著作権所有者でもあられるであろう)娘さんにご相談をということでお手紙差し上げる次第です。ご住所は、お父さんの従妹である菅野とし子さんの御子息昭彦さんからお聞きしました。昭彦さんとはごく親しくさせていただいています。(弟の敬三君は同級生です。)

 「触手」と「にせあぽりや」はセットの作品であることが理解できました。福田恆存の「読者のために」も入れていずれ文庫本の形で大手出版から公刊されるべきです。わたしがやりたいのはそれまでのつなぎです。とりあえずは宮内の人たちに「にせあぽりや」を知って欲しい。初雪や雪割りの描写は宮内で育った者にとってぞくぞくするほど感覚的にわかります。通りのようすやおくまんさまや小学校の校庭の描写もほんとうにうれしくなります。こういう形で宮内が見事に表現されていることを知ることで、宮内に関わる人間がどれだけふるさとへの思いを深くすることができることか。これまで見過ごされていたのがほんとうにもったいないことだと思いました。

 今後の私の希望を申し述べますと、

  1. 「にせあぽりや」を頒布価格300円ぐらいを目処に、5001000部印刷します。当面の印刷費用は私が負担します。金澤さんにはご希望の分だけ(100200部)無料でお送りします。とりわけ『触手』の公刊に向けてご活用いただけたらと思います。こちらでは宮内を中心に頒布します。

  2. 「小田仁二郎文学研究会」を南陽市で立ち上げます。会員になっていただける数人の顔が思い浮かびます。金澤さんにはぜひ顧問になっていただきたい。「にせあぽりや」の発行も研究会の名で行えたらと思っています。

  3. 私どもの出来る範囲になりますが、南陽市行政当局や地元マスコミ等にも働きかけて小田文学への関心が高まるような動きをつくりますので、中央からも動きが出てほしいです。

 福田恆存、髙橋和巳、種村季弘、そして井筒俊彦という錚々たる方々の評価を見るにつけ、小田文学がほんとうに世間に受け入れられるようになるのはこれからだと思います。私ごときがこういう思いになれたこと自体、時代がようやく小田仁二郎の世界に追いつきつつあることの証であると思っています。宮内がこうした人物を生み出していたことを誇りに思います。小田文学のあちこちに宮内的感覚が息づいていることを実感できるのです。まずここからです。多くの人とこの感覚を共有できればと思っています。どうか応援して下さい。よろしくお願い申し上げます。

 

    平成26(2014)年1124


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すぐ快諾のメールをいただいた。それなのにまだ果たせぬまま、8年経ってしまった。 

 

 

 

 

 

 

 

 


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横山仁

いつも興味深い情報をありがとうございます。「にせあぽりあ」を注文します。「ふるさと文学館」を購入してしまいましたが(未読)、秋田県立図書館にも、「触手」と「にせあぽりや」は、ありません。
by 横山仁 (2022-10-16 20:16) 

めい

横山仁様

ありがとうございます。
8年前に手がけたままになっています。
11月の市民大学講座をめどにしていたのですが、もう1ヶ月を切ってしまいました。目の前のことに追われてずるずるになってしまいましたが、なんとかがんばってみようという気持ち今芽生えてきました。どうなるか自分でもわかりませんが、首尾よくできたらまたここに書きますので、その節はあらためてご連絡ください。
by めい (2022-10-17 05:24) 

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