いい講演会でした/初披露「甚句 宮内町自慢」 [宮内]
宮内生まれの女大関若緑の次男、愛媛県松山市北条の遠藤泰夫さんの講演会、懇親会が9日楽しく開催されました。いろんな「縁」を感じさせられ、また体験した今回の集いでした。ギリギリ仕事でA4フルカラー16pの資料をがんばってつくったのですが、出稿の前日10月4日、火野正平の「こころ旅」がなんと北条町というのも驚きでした。そのことを書き加えました。《(早坂暁は)渥美清とは、24歳のとき銭湯で知り合ったのが縁で、生涯の心友でした。北条鹿島には、渥美清の句碑があります。「お遍路が一列に行く虹の中」。10月4日の「火野正平のこころ旅」に登場しました。渥美清は、北条鹿島を「第二の故郷」として愛し、たびたび訪れたとのことです。「尾崎放哉を演ってみたい」という渥美清の思いに応えて、『首人形 放哉の島』というシナリオを仕上げて渥美清に送ったのが、渥美の死の3年前の平成5年だったそうです。「寅さんからの脱出劇を試みるだけの力は、もう残されていなかったんです。」(「渥美ちゃんのこと」)》→「こころ旅・こぼれ話ブログ」https://www.nhk.or.jp/kokorotabi-blog/100/473830.html#more
そもそも20数年前、早坂暁さんが女相撲の取材で山形を訪れたことがきっかけとなってYBC制作部のEさんと遠藤さんのお付き合いが生まれ、今回の講演会はその延長上での実現でした遠藤さんが今年の7月、山形新聞への投書で「宮内の菊まつりに行ってみたい」と書かれたことから始まりました。
何と言っても話題の中心は遠藤さんのお母さん若緑が、「皇后陛下も上がれない」大相撲の土俵に上がったことです。遠藤さんが小学校4年の時でした。その経緯について高砂親方元横綱前田山が語っています。《「ワシは高砂浦五郎(第39代横綱前田山)です。この度の高砂一門の巡業は、勧進元であります元女大関若緑さんの取上げ相撲をするために参りました。大相撲の土俵には女の人は上がれないことになっております。が、しかし、若緑さんは女といっても相撲取りです。相撲取りは土俵に上がらんと相撲は取れません。若緑さんは土俵には上がらないと固く断りましたが、ワシがどうしても上がれと云うたんです。このことで相撲協会がどう云うかわかりません。が、高砂やほかの部屋が巡業で来た時は若緑さんに大変お世話になっております。もし、協会で問題になったら私が全責任を取ります。本日は若緑さんの取上げ相撲を祝ってあげてください。北条の皆さん、どうか若緑さんに温かいご支援をお願いします。」(遠藤泰夫著『女大関若緑』より)》このことで女手一つでがんばる母親を見直すことになり、それまでの悪ガキ一方から脱出への道が拓けたというのです。母親の一生を描くことを思い立ったのが20歳の時、それから30年以上を経てようやく完成したのが『女大関若緑』。何も隠さず赤裸々に語ることが母への供養にもなる、その思いで書きあげたこの本は
講演の最後に遠藤さん、自作の相撲甚句を披露していただきました。
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サプライズもありました。南陽市吉野の相撲研究家小形芳美さんが女相撲の化粧廻しを持って参加してくれていたのです。遠藤さんに贈呈したいとのことだったのですが、遠藤さんの地元で保存していた方がいいということで宮内歴史を語る会で預かることにしました。
【追記 10.28 】
10.26 山形新聞に紹介されました。その記事がyahooニュースにも転載され、全国的に反響があると、遠藤さんから連絡ありました。→https://news.yahoo.co.jp/articles/0ed9a4551275872499ae6eaa4a6e8286867e926f
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