女大関若緑 講演会 本日3時から [宮内]
今日3時から、熊野大社證誠殿で、女大関若緑の次男遠藤泰夫氏の講演会です。申込不要でどなたでもお聴きいただけます。会費1000円。高校生以下は300円です。A4フルカラー16ページ、内容盛りだくさんの資料も用意します。
なお、終了後遠藤氏を囲んでの懇親会を行います。まだ席に余裕がありますので会場でお申し込みください。
宮内歴史を語る会(粟野収吉会長)の主催です。
家出して女相撲に入門
《昭和九年(一九三四)、志げのは花も恥じらう娘盛りの十七歳になった。成長するにつれ、なかなかの美人になったが、好奇心旺盛な力持ちの娘に変わりはなかった。女学校に通っていた。
そんなころ、「菊まつり」にあわせて女相撲が宮内町にやってきた。
・・・・・・・・・・・・・・・。
宮内は「菊づくり」で有名な町である。その歴史は上杉時代(十七世紀初期〜)から始まり、明治末期から大正にかけて「菊」の風格を慕う人々が増え、初めての菊人形が大正元(一九一二)年に飾られ、翌大正二年に第一回の菊品評会が開かれた。
興行期間中、石山興行は食料などの品々を遠藤商店から調達していた。
十五日の初日から連日大入りで、十日目を迎えた。この日、志げのが石山興行へ米の配達に行ったことが、彼女の運命を変えるとは、神も仏もご存知なかったであろう。志げのはこの時、体重は六十キロ近くもあった。》(『女大関若緑』より)
そんなころ、「菊まつり」にあわせて女相撲が宮内町にやってきた。
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宮内は「菊づくり」で有名な町である。その歴史は上杉時代(十七世紀初期〜)から始まり、明治末期から大正にかけて「菊」の風格を慕う人々が増え、初めての菊人形が大正元(一九一二)年に飾られ、翌大正二年に第一回の菊品評会が開かれた。
興行期間中、石山興行は食料などの品々を遠藤商店から調達していた。
十五日の初日から連日大入りで、十日目を迎えた。この日、志げのが石山興行へ米の配達に行ったことが、彼女の運命を変えるとは、神も仏もご存知なかったであろう。志げのはこの時、体重は六十キロ近くもあった。》(『女大関若緑』より)
「お母ちゃんは、皇后陛下も上がれない大相撲の土俵に上がったんよ。」
《「ワシは高砂浦五郎(第39代横綱前田山)です。この度の高砂一門の巡業は、勧進元であります元女大関若緑さんの取上げ(引退)相撲をするために参りました。大相撲の土俵には女の人は上がれないことになっております。が、しかし、若緑さんは女といっても相撲取りです。相撲取りは土俵に上がらんと相撲は取れません。若緑さんは土俵には上がらないと固く断りましたが、ワシがどうしても上がれと云うたんです。このことで相撲協会がどう云うかわかりません。が、高砂やほかの部屋が巡業で来た時は若緑さんに大変お世話になっております。もし、協会で問題になったら私が全責任を取ります。本日は若緑さんの取上げ相撲を祝ってあげてください。北条の皆さん、どうか若緑さんに温かいご支援をお願いします。」(遠藤泰夫著『女大関若緑』より)

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