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今日、第10回宮内七夕祭 [熊野大社]

神事前.jpg
宮内などの各家庭のお獅子が熊野大社拝殿前に勢ぞろいします。午後3時ごろから飾り始め、午後7時からご神事です。
2013年からなので今年でちょうど10回目。一昨年の様子です→https://oshosina2.blog.ss-blog.jp/2020-08-08-3
第一回→「宮内七夕の復興(5) 新装復活「宮内七夕祭」」https://oshosina.blog.ss-blog.jp/2013-12-10-4
10年前に書いた文章、再掲しておきます。(https://oshosina.blog.ss-blog.jp/2013-08-10
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「日本古来の魂文化の復興を!」

 

87日に宮内熊野大社で行なわれた「宮内七夕祭」にはそういう思いがこめられていた

 

「祭り」とは本来御神事そのものを指す。大分前、「祭りの本義」と題した文を書いたことがある。

 

〈昭和十六年発行の広辞林によると、「祭」は「神に奉仕してその霊威を慰め又は祈祷、祓禳、報賽のために行う儀式の総称」とのみある。平成五年の新明解国語辞典ではどうか。「①神霊に奉仕して、霊を慰めたり祈ったりする儀式。また、その時に行う行事。②記念・祝賀などのために行う行事。〔広義では、商店がある時期に行う特売宣伝をも指す〕」


 ふるさとまつり、健康まつり、さくらまつり、菊まつり・・・これらから「神への奉仕云々」を連想するのはもはや不可能である。祭りから連想されるのは先ずもつて「賑わい」であり、したがって現代における祭りの成否は、ひとえに賑やかさの如何にかかっているといっても言い過ぎではない。そこでは祭りは、かつてそれ自体が目的であつた本来の意味は背景へと押しやられ、国語辞典の広義に挙げられるがごとく、往々にして経済効果を第一義とする手段にまでもおとしめられてしまったのである。すなわち、祖先への敬意もまたそれに連なる神霊への畏敬も、祭りを盛り上げる単なる道具立てのひとつに過ぎないとする本末転倒が時代を制しつつあるかに見える。いずれ将来、辞書においても第一義と第二義との交代がないとも限らない。〉

七夕よいえば竹飾り、竹飾りのみが注目されるようになった仙台七夕に代表される「七夕祭」は、本末転倒してしまったお祭りの象徴例である。(そもそも仙台七夕の歴史は伊達の時代に始まったもので、やはり旧暦7月6 夕から7日朝の行事で「ナヌカビ(7日浴び)」と言ったという。もとをたどれば置賜の風習がそのまま伝わったのかどうか興味深い。)

日本古来の「祭り」について、民俗芸能研究家西角井正大氏がいう。

 

〈日本は四季に恵まれ、その折おりにさまざまな祭りが行なわれている。四季と祭りが豊かな関係で結ばれているからである。

さて、その四季と祭りの関係は、鎮魂を目的とする冬の祭り、稲作を目的とする春・秋・冬の祭り、疫神払いを目的とする夏の祭りに要約される。・・・・・・・・・・・・

いったい季節を示すハル、ナツ、アキ、フユはすべて祭りに関係する語であるという。ハルは発る・張る・晴るなどで、フユの間に迎えられた神がその威力を発動し出す時ということである。ナツは穢れ(けがれ)や疫神を移して払う撫で物で身体を撫ずる行為を指す撫ずの時ということである。アキは願い果し満足をいう飽きの時ということである。冬は招魂・鎮魂というミタマフリ、ミタマノフユという語を起源として、神霊を招(ふ)ゆするという時ということである。〉(西角井正大「祭礼と風流」民俗民芸叢書P910

 

収穫に関わるハル、アキの祭りに対して、鎮魂のためのフユの祭り、穢れを祓うナツの祭りはともに魂に関わる祭りである。魂を鎮めて御先祖の霊につながる歳神(としがみ)様をお迎えするのがフユのお正月であり、半年の間に身についた穢れを祓って御先祖をお迎えするのがナツのお盆である。ナノカビに飾った笹竹を川に流し、その日には薬水が流れるという川に浸かって身を清めるのがナツの七夕の行事だった。そうしてはじめて御先祖の霊と向き合うことができたのだ。「魂鎮め」であり「魂清め」、いずれもまずもって「魂」のあり方が問題となる。ここに日本文化の本来を見ることができるのではないか。

 

旧暦では熊野大社のお祭りは615日だった。その前日、熊野の御獅子様は山上御神庫から出されて下の御旅所に安置され、15日の夕、南陽市民俗無形文化財の梵天ばよいにはじまる勇壮な獅子ばよい、定められた12の立場(タテバ)での舞を経て山上に納まるまでまる一日の間、人々の参拝をうける。

 

獅子については次の記述がある。

 

「動物たちの祭礼の場への登場は、なんらかの信仰的な要素を含むものであった。たとえば、獅子をとってみれば、その頭は御頭(おかしら)・権現(ごんげん)などと呼ばれて神同様に祀られ、その舞は悪霊を祓い、場を清める態(わざ)であるといった具合である。」(西角井正大「祭礼と風流」P183

 

ちなみにわが家の御獅子の箱にも「熊野大権現」と記されている。そういえば、御獅子様に願うのは一様に「健康」である。だれも金儲けを願ったりはしない。要するに御獅子様のお働きはまさに「清め」にある。

 

旧暦では615日のお祭りが終わると、630日の大祓えの行事がある。そうして86日、7日の七夕祭を迎える。宮内の七夕は、各家庭各地区で中央に熊野の御獅子様に似せてつくられた御獅子を正面に飾って行なわれた。宮内の七夕とは、まさに熊野の御獅子のお力をもお借りして行なわれた清めの行事だったのである。

 

村上家七夕 .jpg

今から60年近く前までは、宮内のどの地区でも子供会の行事として、御獅子を飾った「七夕祭」が行なわれていた。さかのぼる70年以上前には、御獅子を所蔵するそれぞれの家庭で七夕祭が行なわれていた。この写真は当時を伝える貴重なものだ。中央の女の子は昭和6年生まれの村上ヒロさん、今年82歳。この度いろいろご協力いただいた。この写真に写っている3張の提灯と灯篭(左側)もお借りして飾った。

DSCF9926-001.JPG

最下段が70数年前の灯篭

 

このたびの宮内七夕祭の復活をだれよりも喜んでいるのは、670年来、暗いところでなかば忘れ去られていた御獅子達であるような気がしてならない。御獅子を御出動いただいた多くの家々の方々が御神事に参列された。何人から「ありがたい」という言葉をお聞きしたことか。それはまさに御獅子のお気持ちのように受け止めた。今年は総勢40体。宮内の家々に眠る御獅子のまだごく一部と思う。家々、地区地区での七夕祭が途絶えてしまったいま、産土神社に一堂に会しての七夕祭は、魂を揺さぶる日本本来の祭りとして大きく発展していくことを切に願う。


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