選挙御礼(備忘録No.28) [日記、雑感]
備忘録 No.28 令和4年7月11日発行
◎やすえちゃん当選!ありがとうございました。
激戦を乗り越え、やすえちゃんが当選しました。ほんとうによかったです。ありがとうございました。 安倍元総理が亡くなったことで、舟山陣営は電話作戦を自制しました。その間隙を縫うように、大内陣営は積極的になったようでした。大内陣営から電話があった、と親しい方から言われました。同情票による上乗せも考慮すると逆転の可能性が次第に頭を占めるようになりました。やられたかもしれない。投票率も伸びていない。出口調査はどう出るか。午後8時、出口調査は5ポイントぐらい大内リードでした。覚悟して「見守り会場」に向かいました。
最上、庄内方面の町や村から開票状況から報じられます。意外といい。山形市の票が伸びているのもいい。。「勝てそうな気がしてきた」、そんな空気に変わりはじめました。10時近い頃だったろうか、YTSだったかTUYだったかが一瞬だけ”当”と報じたのを見て、拍手が沸き起こりました。うれしさよりも、ホッとしたというのが正直なところでした。
◎全県 舟山 康江 国現 269,494
大内 理加 自新 242,433
石川 渉 共新 19,767
黒木 明 諸新 11,481
小泉 明 N新 7,217
(当日有権者数:899,999人 投票率:61.87%)
◎南陽市 舟山 康江 国現 7,710
大内 理加 自新 6,988
石川 渉 共新 487
黒木 明 諸新 302
小泉 明 N新 190
(当日有権者数:25,628人 投票率:61.17%)
●前回(2016) ◎全県:舟山康江344,356 月野 薫223,583 城取良太5,223 (投票率62.22%)
◎南陽市:舟山康江10,018 月野 薫 6,605 城取良太408 (投票率62.77%)
◎参政党は、全国比例で神谷宗幣(かみやそうへい)事務局長当選
初めての選挙挑戦となった参政党は、全国比例で1,768,349 票を集め、惜しくも2名当選まであと一息でした。しかし、得票率2%をクリアしているので、「国政政党」として認められることになります。
ただ、今朝比例区の開票を追っていて疑問に思ったことがありました。
5時18分 、 開票率79.9%の時の得票数は、1,588,178票でした。このままいくと最終的には1,987,707票になる計算でした。2名当選の可能性もある!と期待が高まりました。ところが、6時18分開票率が91.2%分の時点では1,673,918票で最終予想は1,835,436票、1時間で15万票も少なくなっています。結局9時過ぎの最終得票は1,768,349 票で、私が最初に見た時点での最終予想より23万票も少ない結果です。なぜそうなるのか理解できないので、ネットに「疑問」としてアップしたところです。
なお、南陽市の全国比例参政党の得票は390票(「参政党」での投票316名「候補者名」での投票74名)でした。これからの活動の大事な大事な基礎票です。ここから広げてゆかねばなりません。
◎「安倍元首相殺害の深層」(田中宇)
選挙当日、私に大事な情報源のひとつ、田中宇氏の”国際ニュース解説”「安倍元首相殺害の深層」が届きました。安倍元首相の死が今後の日本にどのような影響を及ぼすかについてでした。大筋次の通りです。
安倍元総理は自民党を仕切っている黒幕・フィクサーだった。首相在任当時から対米従属を続ける一方で中国との親密さも維持し、日本を「米中両属」の姿勢に転換させた。また、プーチン大統領とも親しい関係を築いていた。安倍殺害の背景には、そのことを好ましく思わない勢力があると考えられる。今後岸田総理は、安倍元総理の親中露路線から転換して、対米追随・中露敵視の方向に行かざるを得ない。しかしそれは「自滅の道」でしかない、としてこう結ぶ。《安倍は死んだ。岸田の露中敵視もいずれ破綻する。その後の日本は弱体化し、経済的に露中敵視を継続できなくなり、米国も金融破綻や国内混乱で弱体化するので、いずれ日本は再び米中両属への道を模索するようになる。それを自民党の誰が主導するのか、まだ見えない。岸田自身が露中敵視の強化が自滅策だと気づいて方向転換を図るかもしれない。左翼リベラルなど野党やマスコミが事態の本質に気づく可能性はほぼゼロなので、そちらからの転換はない。マスコミ権威筋が頓珍漢なままなので、日本人のほとんども何も知らないまま事態が転換していく。》
とりあえずは、ロシア敵視を続ける限り、日本もドイツの現状と同様になることをを覚悟しなければならないのかもしれません。「街灯は消され、レジャーも消え、お湯も配給制、薬もない…ついでに医者もいない…。ドイツの現在の「破綻」の状況を日本もそのうち経験する?」という記事がありました
https://indeep.jp/germanys-miserable-now/ 。 それにつけても、これからの困難な時代を思うと、この度の選挙、つくづくやすえちゃん当選でよかったと思えます。与野党関係なく、国民一丸となって難関に立ち向かわねばなりません。国会におけるやすえちゃんの存在は大きいです。
選挙当日、私に大事な情報源のひとつ、田中宇氏の”国際ニュース解説”「安倍元首相殺害の深層」が届きました。安倍元首相の死が今後の日本にどのような影響を及ぼすかについてでした。大筋次の通りです。
安倍元総理は自民党を仕切っている黒幕・フィクサーだった。首相在任当時から対米従属を続ける一方で中国との親密さも維持し、日本を「米中両属」の姿勢に転換させた。また、プーチン大統領とも親しい関係を築いていた。安倍殺害の背景には、そのことを好ましく思わない勢力があると考えられる。今後岸田総理は、安倍元総理の親中露路線から転換して、対米追随・中露敵視の方向に行かざるを得ない。しかしそれは「自滅の道」でしかない、としてこう結ぶ。《安倍は死んだ。岸田の露中敵視もいずれ破綻する。その後の日本は弱体化し、経済的に露中敵視を継続できなくなり、米国も金融破綻や国内混乱で弱体化するので、いずれ日本は再び米中両属への道を模索するようになる。それを自民党の誰が主導するのか、まだ見えない。岸田自身が露中敵視の強化が自滅策だと気づいて方向転換を図るかもしれない。左翼リベラルなど野党やマスコミが事態の本質に気づく可能性はほぼゼロなので、そちらからの転換はない。マスコミ権威筋が頓珍漢なままなので、日本人のほとんども何も知らないまま事態が転換していく。》
とりあえずは、ロシア敵視を続ける限り、日本もドイツの現状と同様になることをを覚悟しなければならないのかもしれません。「街灯は消され、レジャーも消え、お湯も配給制、薬もない…ついでに医者もいない…。ドイツの現在の「破綻」の状況を日本もそのうち経験する?」という記事がありました
https://indeep.jp/germanys-miserable-now/ 。 それにつけても、これからの困難な時代を思うと、この度の選挙、つくづくやすえちゃん当選でよかったと思えます。与野党関係なく、国民一丸となって難関に立ち向かわねばなりません。国会におけるやすえちゃんの存在は大きいです。
◎これからの心構え
27号にも書いたことですが、なんども書きます。昭和20年8月15日正午、昭和天皇が敗戦を国民に告げる玉音放送の時の気持ちに立ち還ってやり直すことです。
体験としての記憶はありません。しかし想像はできます。詩人伊東静雄、その日記の一節はひとつの手がかりです。「十五日陛下の御放送を拝した直後。/太陽の光は少しもかわらず、透明に強く田と畑の面と木々とを照し、白い雲は静かに浮び、家々からは炊煙がのぼつてゐる。それなのに、戦は敗れたのだ。何の異変も自然におこらないのが信ぜられない。」 その時まで300万人の命が失われていたのです。まさにその時にも、戦地には飢えに苦しみつつ、命がけで戦う意思を持ち続ける多くの兵士がいたのです。そうしたことを背景にした8月15日の正午の玉音放送です。
この時に還らねばならない、と思うようになったのは、長谷川三千子著『神やぶれたまはず』(2016)によります。《昭和20年8月のある一瞬―ほんの一瞬―日本国民全員の命と天皇陛下の命とは、あひ並んでホロコースト(供犠)のたきぎの上に横たはっていたのである。》とありました。国民は、その一瞬が過ぎるや薪の上からたちまち降り立ち明日から生きてゆくための行動を開始しました。薪の上に載った一瞬などその時だけの一瞬に過ぎませんでした。しかし、昭和天皇にとってはその後の生を通して背負い続けなければならなかった「永遠の一瞬」でした。新たな危機を前に思います。あの一瞬は夢だったのか、はたまたあの一瞬を忘れて過ぎ去った77年の歳月が夢だったのか。昭和天皇は、国民にとってはたちまち過ぎたあの一瞬を、夢ではない現実として、薪の上から降り立つことのないまま昭和を生きて、平成の御代へとバトンを引き継がれたのでした。薪の上に在りつづけた昭和天皇のお姿こそが夢ではない現実ではなかったのか。そう思わされる世の中が来そうな気がしてなりません。あらためて、あの一瞬の現実に立ち還るべき時が迫っているような気がするのです。。そこから始めることを思うと、かえってやる気が出てくる。あの時から思えば、今はどんなに恵まれていることか。・・・その後の77年で得たものは多い。ただそのかわり、失ったものは何だったのか。ひとりひとりそれぞれ、その失ったものを取り戻すために、77年前のあの時の思いに還るのです。そうすることで、戦争で命を落とした300万人の魂も甦る。その霊の助けも借りながら、占領前の日本に戻ってやりなおす。そこからひらけてくる未来こそ、地に着いた本来日本にちがいない。参政党は、そのことを果たす使命をもって遣わされた政党と考えています。
27号にも書いたことですが、なんども書きます。昭和20年8月15日正午、昭和天皇が敗戦を国民に告げる玉音放送の時の気持ちに立ち還ってやり直すことです。
体験としての記憶はありません。しかし想像はできます。詩人伊東静雄、その日記の一節はひとつの手がかりです。「十五日陛下の御放送を拝した直後。/太陽の光は少しもかわらず、透明に強く田と畑の面と木々とを照し、白い雲は静かに浮び、家々からは炊煙がのぼつてゐる。それなのに、戦は敗れたのだ。何の異変も自然におこらないのが信ぜられない。」 その時まで300万人の命が失われていたのです。まさにその時にも、戦地には飢えに苦しみつつ、命がけで戦う意思を持ち続ける多くの兵士がいたのです。そうしたことを背景にした8月15日の正午の玉音放送です。
この時に還らねばならない、と思うようになったのは、長谷川三千子著『神やぶれたまはず』(2016)によります。《昭和20年8月のある一瞬―ほんの一瞬―日本国民全員の命と天皇陛下の命とは、あひ並んでホロコースト(供犠)のたきぎの上に横たはっていたのである。》とありました。国民は、その一瞬が過ぎるや薪の上からたちまち降り立ち明日から生きてゆくための行動を開始しました。薪の上に載った一瞬などその時だけの一瞬に過ぎませんでした。しかし、昭和天皇にとってはその後の生を通して背負い続けなければならなかった「永遠の一瞬」でした。新たな危機を前に思います。あの一瞬は夢だったのか、はたまたあの一瞬を忘れて過ぎ去った77年の歳月が夢だったのか。昭和天皇は、国民にとってはたちまち過ぎたあの一瞬を、夢ではない現実として、薪の上から降り立つことのないまま昭和を生きて、平成の御代へとバトンを引き継がれたのでした。薪の上に在りつづけた昭和天皇のお姿こそが夢ではない現実ではなかったのか。そう思わされる世の中が来そうな気がしてなりません。あらためて、あの一瞬の現実に立ち還るべき時が迫っているような気がするのです。。そこから始めることを思うと、かえってやる気が出てくる。あの時から思えば、今はどんなに恵まれていることか。・・・その後の77年で得たものは多い。ただそのかわり、失ったものは何だったのか。ひとりひとりそれぞれ、その失ったものを取り戻すために、77年前のあの時の思いに還るのです。そうすることで、戦争で命を落とした300万人の魂も甦る。その霊の助けも借りながら、占領前の日本に戻ってやりなおす。そこからひらけてくる未来こそ、地に着いた本来日本にちがいない。参政党は、そのことを果たす使命をもって遣わされた政党と考えています。
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