「的外れの参政党批判」をめぐって⑺ ”霊的”レベルの戦い [参政党]
●konaさんからのコメント
konaです。今回のコメントを最後にしたいと思います。
(1)知識について
(引用はじめ)
ある意味、知識は邪魔でしかない。《標準的な定義から説明》とか《一般的な辞書的な意味》とか、そういうのでつくられたヒエラルキー、そんなのを優先してしまう教育が、日本の教育をダメにしている、参政党もそのことに気づいています。
(引用おわり)
知識偏重教育と言葉の定義は「無関係」です。そもそも言葉の定義は学問の基礎として最重要です。また定義を重視することは、新説を軽視するものではなくそこに階層(ヒエラルキー)は存在しません。
しかし、学問の土台がない場合には話は別です。新説を縷々展開されても、夢遊病者の妄想を読んでいるのと同じく読み手は得るものがありません。めいさんは少し冷静になってmespesadoさんから離れた方が良いのではないですか?
先の主権概念を例にすると、私は通説的な主権概念を是認しているわけではありません。新説を提案されることはむしろ歓迎ですが、ただの思いつき・恣意的な説明を読んでいても得るものがありません。
読む人が読めば「この方、この方面(憲法・政治哲学・法律学)には明るくないな」とわかります。定義(名)が恣意的で、現象(実)も的確に把握できていません。検討する意味がないと私は判断しました。
(2)他者が読むことを二義的とする点について
(引用はじめ)
自分の頭で、自分の感覚で納得することがいちばんなのです。私が文章を書くのはそのためです。人に読んでもらうのはあくまで二義的です(中略)読むことも”発見”です。
(引用おわり)
第三者が管理する掲示板で「読む人を二義的」にするのは読む人に失礼です。腑に落ちるまで考え抜くプロセスは重要と思いますが、それは第三者が知りたいことではありません。
(3)副島先生の参政党観について
統一教会の作った別働隊と述べられているのに、「その批判は参政党の対中国観に向けられている」というのは違いますね?中国観だけでなく「存在全体」が統一教会だと言っています。
「いろんな考えがあっていい参政党、とにかく政治に参加してこれからいい日本をつくっていこう」と末端党員が考えていることを良いことに、その組織では良いように利用されてしまう危険性が高いと私は危惧しています。草の根の民族派が根こそぎ刈られてしまう・・・それこそ国益に反します。1人でも多くの参政党支持者に立ち止まってほしいと願っています。
以上です。
数日にわたりお付き合いいただきましてありがとうございました。おかげで参政党支持者のスタンスも少しは理解できましたし、共感型社会(コミュニタリアリズム:共同体優先主義の亜種版)についても理解を深めることができました。御礼申し上げます。
>konaさんへ
確かに私は憲法学にも法律にも詳しくありません。ただのシロウトです。
しかし同じく医学にもシロウトですが、多くの医者がワ○チ○を安全だと主張するのはウソだと自分なりの得た知識と論理で判断しています。
同じように、憲法学で「主権者が暴走する」場合について、主権者それ自体が自分の意思で暴走する場合のことは考えられていても、背後からDSのような存在が脅して支配するような構図を考えていないことは確かだと思ったので、その観点から自分の考えを述べたまでです。そしてそこで定義した概念は、例えそれが通常の定義と異なったとしても、その場で私が定義した概念としてはきちんと定義したつもりです。それを分かった上での反論ならわかるけれども、貴方の反論はそこに答えてくれなかった。それだけです。専門家の存在は、シロウトが思いつかない新しい見識を提示することにあると思っています。専門家が提示した見解が正しいかどうかは専門家の判断に委ねるのではなく、読者自らが自分で考えて判断すべきものだと思います。
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