孫崎享氏講演会(1)”売国奴”観の転換 [日記、雑感]
昨日、孫崎享氏講演会に行ってきました。いろんな意味で面白くもあった、いい講演会でした。主催は「憲法9条を守り、平和とくらしを守る東置賜地区連絡会」。1400人の会場、一人置きでずっと後ろまで入っていたので500人は超えていただろうか。大盛況と言っていい。
主催者挨拶でこの会成立の経緯が述べられた。2004年に井上ひさし、小田実といった9人のメンバーの呼びかけで結成されたが、今生きておられるのは大江健三郎さんと澤地久枝さんだけとのこと、参加者の顔ぶれもそれに見合っているようで、年配の方がほとんど、これが旧来護憲勢力の実態なのだろう。私などから見れば反対勢力であるはずのサヨクの方々なのだが、その方々主催の会に私と竹さんのような元来ウヨクがのこのこ出かけてゆく、そこに新しい構図、新しい展開を見る。私なりに言えば、”売国奴”観が変わりつつある。
こう書きつつ実は今、その転換を果たした人物が、ほかならぬ孫崎享氏ではなかったかと、10年前の『戦後史の正体』を思い起こながらはたと気づいた。孫崎氏、この時機よくぞ南陽で語っていただいたものだと、昨日その場に居合わせたことのありがたさを深く思う。ここからいろいろ書かねばならないが、とりあえず、10年前のアマゾンレビュー。(https://oshosina.blog.ss-blog.jp/2012-08-14)
* * * * *
はぐらめい
5つ星のうち5.0
孫崎氏は命がけでこの本を書いたに違いない
2012年8月14日
決してスラスラ読める本ではなかった。噛み締めながら読むことで、その時代時代がくっきりとした輪郭をもって浮かび上がる。そして、そうだったのだとあらためて納得させられる。たとえば、われわれの半世代前が担った60年安保騒動。1台しかない電話代の支払いにも事欠く全学連の書記局がいつのまにか、何十台ものバスや都電をチャーターできる金が入ってくるようになっていた。「占領時代、米国情報関係者が積極的に接触を求めていた人物」田中清玄と全学連委員長唐牛健太郎の結びつきはよく知られたところだが、さらに当時の親米路線を採る財界のトップたちが重要な役割を担っていた。そしてその背景には、自主独立路線を進む岸首相を退けようとするアメリカの意志が働いていた。岸首相の党内基盤及び官僚の掌握力はきわめてしっかりしており、引きずりおろすには反政府デモの手法を使わざるを得なかったというのだ。そしてそれは見事に効を奏する。以後、戦後対米従属の元祖的存在吉田茂路線を引き継ぐ池田首相の登場となり、アメリカの意向そのまま経済至上の高度経済成長時代が始まってゆく。なんのことはない、あの大騒ぎも今見れば、アメリカに踊らされた根っこの無い空騒ぎに過ぎなかった。当時を懐かしむあの世代に反省が迫られる。粋がっている場合じゃあないよ、と。
この60年安保騒動については、副島隆彦氏が『日本の秘密』(弓立社1999)ですでに暴き立てているその視点と重なる。孫崎氏はそれを内部から立証した形だ。孫崎氏はさらに吉田を対米従属派、岸を自主独立派とすることで、60年安保騒動を戦後史の流れの中に明確に位置づけることに成功した。今後定説化してゆくはずだ。
重光葵の不審な最後、石橋湛山の病気退陣、正力松太郎の懐刀でもあった戦後の闇を知り尽くす読売記者柴田秀利の突然死、細川政権下、日米安保よりも「多角的安全保障」を優先することに舵を切った西廣整輝元防衛次官と畠山蕃防衛次官の早すぎるガン死、それらへのこだわりが心に残る。孫崎氏は命がけでこの本を書いたに違いない。副島氏にしても命がけであるが、まずは先走りの役割、ともすればキワモノ扱い。しかし孫崎氏は、「戦後史の教科書」として、まさに「正統」を目指してこの書を世に出した。この書が今後どのような帰趨をたどるのか。日本の運命を左右するといっても過言ではない。
40人のお客様がこれが役に立ったと考えています
5つ星のうち5.0
孫崎氏は命がけでこの本を書いたに違いない
2012年8月14日
決してスラスラ読める本ではなかった。噛み締めながら読むことで、その時代時代がくっきりとした輪郭をもって浮かび上がる。そして、そうだったのだとあらためて納得させられる。たとえば、われわれの半世代前が担った60年安保騒動。1台しかない電話代の支払いにも事欠く全学連の書記局がいつのまにか、何十台ものバスや都電をチャーターできる金が入ってくるようになっていた。「占領時代、米国情報関係者が積極的に接触を求めていた人物」田中清玄と全学連委員長唐牛健太郎の結びつきはよく知られたところだが、さらに当時の親米路線を採る財界のトップたちが重要な役割を担っていた。そしてその背景には、自主独立路線を進む岸首相を退けようとするアメリカの意志が働いていた。岸首相の党内基盤及び官僚の掌握力はきわめてしっかりしており、引きずりおろすには反政府デモの手法を使わざるを得なかったというのだ。そしてそれは見事に効を奏する。以後、戦後対米従属の元祖的存在吉田茂路線を引き継ぐ池田首相の登場となり、アメリカの意向そのまま経済至上の高度経済成長時代が始まってゆく。なんのことはない、あの大騒ぎも今見れば、アメリカに踊らされた根っこの無い空騒ぎに過ぎなかった。当時を懐かしむあの世代に反省が迫られる。粋がっている場合じゃあないよ、と。
この60年安保騒動については、副島隆彦氏が『日本の秘密』(弓立社1999)ですでに暴き立てているその視点と重なる。孫崎氏はそれを内部から立証した形だ。孫崎氏はさらに吉田を対米従属派、岸を自主独立派とすることで、60年安保騒動を戦後史の流れの中に明確に位置づけることに成功した。今後定説化してゆくはずだ。
重光葵の不審な最後、石橋湛山の病気退陣、正力松太郎の懐刀でもあった戦後の闇を知り尽くす読売記者柴田秀利の突然死、細川政権下、日米安保よりも「多角的安全保障」を優先することに舵を切った西廣整輝元防衛次官と畠山蕃防衛次官の早すぎるガン死、それらへのこだわりが心に残る。孫崎氏は命がけでこの本を書いたに違いない。副島氏にしても命がけであるが、まずは先走りの役割、ともすればキワモノ扱い。しかし孫崎氏は、「戦後史の教科書」として、まさに「正統」を目指してこの書を世に出した。この書が今後どのような帰趨をたどるのか。日本の運命を左右するといっても過言ではない。
40人のお客様がこれが役に立ったと考えています
コメント 0