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青葉神社 片倉宮司のお話 [神道天行居]

青葉神社2022.6.5.jpg昨日、仙台青葉神社にて第33回東北神咒(かじり)奉唱大会。平成元年に榴岡天満宮から青葉神社に会場が移って33回目。一昨年はコロナ禍で休んだが、昨年は全国の支部の多くが中止を決める中で決行。そして今年は、決行の連絡が入ったのは2週間前だった。なにごともかむながら、神様のお計らいを思う。世の中はそれだけ切迫しているのだと理解する。

毎年6月の第一日曜日、例年ご神事斎行中、子ども神輿でも出ているのだろうか、遠くから聞こえてくるのが祭りの囃子。そしてこれも必ず聞ける、境内すぐ近くでのホーホケキョ。さわやかな風とともに感じるこの時の空気感はなにものにもかえがたく思う。

直会の席で、青葉神社片倉宮司にご講話いただくのが恒例になっている。

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2022.6.5 片倉宮司.jpg皆さん方がこれまで長い間やってこられた行の中で、新たな世をつくるということ、そういう思いでいろいろやってこられたんでしょうけれど、私もその中で入れていただいて、私は私なりに天行居の方々と共に、なんていうかな、おなし方向でずっとやってきましたけれども、今になっていよいよ、いよいよというところに来てしっまたなという感じを今受けていますよね。ですから、もう先はないよというような感じで。ここでやっぱり思い切った転換といいますか、生まれ変わり、私は政宗公からずっとその、あれは平成25年の年からですかね(https://oshosina.blog.ss-blog.jp/2014-09-24)、「速やかに生まれ変われ」とずっと言ってこられるんですけれど、いよいよ生まれ変わりの時を迎えたんじゃあないかと思いますよね。えー、もうとにかく、んー、乱れた世の中、これ以上乱れたらどうなっちゃうんかなと思うような状況が今来ていると思いますんでね、まあその中でやっぱり、なんでしょうかね、やっぱり考えて、新たな方向、ほんとうに平和な状況というところを目指して、思い切ってやっぱり、変わっていかなければいけないのかな、と思いますわな。特に感ずるのは、今のそのコロナ騒動といいますかね、えー、目に見えない、ほんとに姿の見えないような、そういうものによって世界中が右往左往するような、そういう状況がありますよね。目に見えないような小さなものの大きな力といいますかね、世界を動かすような大きな力っていうのを、私は改めて考えなくっちゃあいけないのかなと思いますよね。要するに、本来この宇宙でもって、最も小さなものがこの宇宙をつくってしまうということを、考え直していただきたいなということを思いますよね。小さなものの集まりが大きなものになっていくわけですから、そのいちばんちいさなところの部分での疎かにされているようなところをやっぱり見直して、そのいちばん小さなものこそ大事にしていくというような、そういう方向に進まなければいけないんじゃあないかっていう気がしてしょうがないんですよ。目に見えないけれども、目に見えないものが、例えば私たちの体をつくってるわけじゃないですか。小さな細胞、ほんとに小さな細胞、あるいは体の中にある細菌と言われているような目に見えない小さなものが、実際には私たちの体の中で生きているわけですよね。それが私たちをこう生かしているというようなことを、やっぱり根本に還って考えるっていうふうなそういうふうにいっていただきたいと思いますよね。目に見えないものによってこれほどやっぱり世界が騒ぐっていうことはあまりなかったような気がするんですよ。でも今こそ目に見えないものの大きな力というものを、これは言ってみれば大衆の力だと思いますよね。上に立っていろいろ指導してくるようなそういう力というよりも、いちばん下の底辺部にいるような、そういう民衆の力、大衆の力というものが、本来、例えばこの日本だったら日本を築いているんですよ、ということを考えることが今、とても大事なじゃあないかなという気がします。特に菌というような、・・・今大きなお金が世の中を動かしているように思うんですけども、でも、1億円とか1兆円とかの大きなお金も、もとはといえば一円から始まっているわけですよ、ほんとはね。その積み重ねでもって、そういう大きなものが出来上がっているんだけれども、その小さな1円玉、それをないがしろにするような心というものが、この世の中をダメにしているような気がするんですよね。小さなものを大事にしない、だから民衆の一人一人なんかどうでもいいという感じのそういう政治が今行われているような気がするんですよ。とにかくもう大きなものだけ求めてゆく。それだけでもってやろうとするところに今、大きな問題があるっていうふうに私は思いますよね。ですからいちばんそのいちばんの元になるその小さな一円から始めなきゃあいけない、そんなふうな思いで、考え直した新しい世界を築いていかなくちゃあいけないのかなと思います。もう今一円玉、ほんとに見捨てられたような状況でいますけれども、すべてはそういう1から始まっているんですから、そのいちばんの底辺部になる小さなものをやっぱり大事にするという気持ちを持って、いろんなことをやっぱり、そんなことから考えていただけたらいいかなと思うんですよね。もうぜひ生まれ変わりのためには、そのいちばんの根本のところから生まれ変わらないと、この世の中は良くならないような気がしてしょうがないです。えー、まぁとにかく、小さなものの大きな力、これを信じて、それこそが神の力じゃあないかと思うんですよね。根本のいちばん大事な、それの集まりがこういうふうな大きな世界をつくってゆくわけですから、もう体も一つ一つの細胞、いくつあるかと言っても数えることができないような、多くの細胞のような小さなものから出来上がっているというようなことをね、それのどの一つが欠けても完成しないんだよというような、そういう思いが大事なのかなあと思いますけどもね。どうぞこれから、えー、そういう小さなものをもう一度見直すという気持ちで、あらためてここから生まれ変わりをしていって欲しいもんだとそういうふうな思いでおります。

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