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新・mespesadoさん講義(136)「中立」ということ [mespesado理論]

私の記事「プーチン大統領によるウクライナ宣戦布告演説」https://oshosina2.blog.ss-blog.jp/2022-03-07へのOBさんのコメントに対して、mespesadoさんから反論していただきました。OBさんに対しては、「客観的真偽」ということより、「内的必然性」を第一義にしています。》と答えておきました。物事をズラーっと並べて、その真ん中あたりを選んで「私は中立です」なんていうのは、私には最も苦手です。OBさんは、私の苦手な世界で生きておられます。とりあえずは「敬して近づかず」ですが、そういう方にもいずれわかってもらえる時が来るかもしれません。私の判断が「真ん中あたり」に来ることもあり得ますので。

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743 名前:mespesado 2022/03/23 (Wed) 09:27:44
 投稿したOBさんにとっては、余計なおせっかいになるかと思いますが、はぐらめいさんの「移ろうままに2」の3月7日の記事↓
プーチン大統領によるウクライナ宣戦布告演説 [現状把握]
https://oshosina2.blog.ss-blog.jp/2022-03-07

へのコメント欄に、放知技の最近の常連だったOBさんから次のような投稿がありました↓
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放知技で書き込みしたことがある「OB」です。

「めい」さんは、なぜ自分の主張の真偽を確かめないのですか?

「放知技」は自分の都合の良い側の主張しか引用宣伝しません。
「ロシア」の武力行使が容認される事は、
「世界列強国」の武力行使が容認される事に繋がりませんか?
そういう、自分の反対側の主張も読んで下さい。

私は、「めい」さんへの問責可決も、ある意味、その思想の偏りが
原因と考えています。

何を、どの順番で食べるかで、体調は決まります。
情報も、何を、どの順番で理解して行くかで、洗脳されるか
自分で考えるのか、自分で考えていると洗脳されるのか、が決まります、

「めい」さんは自分で考えていると洗脳される状態と思われます。
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 OBさんは、「なぜ自分の主張の真偽を確かめないのですか」と仰られているけれど、そもそも貨幣論のように純論理的な思考だけで真贋が判定できるような問題ではなく、ベースとなる情報の信憑性に依存するような今回のようなタイプの問題の真偽を確かめることなんて現実にできるのでしょうか?我々にできることは、せいぜいその根拠と思われる情報を集めてきて情報整理することくらいしかできないのではないでしょうか?それらの情報から何らかの結論を出すことは、それらの情報を読んだ読者一人ひとりの判断に委ねられるべきことです。
 それから、OBさんは、「「ロシア」の武力行使が容認される事は、「世界列強国」の武力行使が容認される事に繋がりませんか」と書いておられるけれども、「武力行使」が「容認」できない、というのは、いわゆるポリコレです。普通の倫理を持った人なら、公式には誰でも「武力行使は容認できない」と言うのが真っ当な人の嗜みです。ですが、それだからこそ、この一連のできごとを、もし筋書きを作り、周到に計画している勢力が居るとすれば、まさに一般の善良な人々が食らいつく「武力行使は容認できない」という、人間の根源的な情動に訴えて、「武力行使」する勢力を非難させることによって多数の人々を自分の側に取り込んで、計画を成功させるための道具として使うはずです。この問題を深く議論したければ、そこまでウラを読まなくてはならないわけです。確かに、そこまで深く考えた言動を取っている人は少ないでしょうから、「一般庶民の通念に従った行動を取らないと選挙に勝てない」という性から逃れられない「議員」、とりわけ同調圧力の強い「地方議員」には、理解を求めることは困難を極めることでしょう。しかし、めいさんは、そんなことは百も承知でこの困難に挑んでいるわけです。OBさんは「自分の反対側の主張も読んで下さい」などというけれど、そんなものは、マスメディアの主張として世に溢れていて、敢えて「読んでみる」までもないことです。個別の論評にしても、例えば猿都瑠さんが
https://grnba.bbs.fc2.com/reply/16580696/996/
で取り上げておられる記事のように、あまりにも底が浅い。OBさんは、更に「私は、「めい」さんへの問責可決も、ある意味、その思想の偏りが原因と考えています」と言うけれど、思想が偏っているのは他の大多数の議員さんも逆方向に偏っているという意味では同じであり、思想的に完全に中立な人なんて存在するんでしょうか?そもそもある思想が「偏っている」かどうかを何によって判定するのでしょうか?仮にそんな「判定方法」があったとして、その判定方法自体が「思想的に偏っている」可能性をどうやって排除するのでしょうか?
 めいさんのような地方議員の立場にある方こそ、一般に流布されていて、それに反する見解が存在すること自体が一般には認識されていないような状態で、あえてその見解に反するようなものの見方が存在することを公にすることによって、地方政治の場である議会に「気づき」の切っ掛けを与える必要がある。もちろん、そのような見解が「正解である」とは限らないでしょう。でも、そのような見方が存在することを知らしめることこそが出発点として非常に重要であり、そのような問題提起によってのみ、あるべき姿に近づくための議論ができる可能性が出てくるのですから、今回のめいさんの問題提起は、何ら批判されるようなことではなく、むしろ逆に地方議員としての責務を真の意味で全うする行為なのではないでしょうか。また、OBさんは「何を、どの順番で食べるかで、体調は決まります」と、食事の例を出して議論には順番があるのだ、と主張しておられるようですが、それこそ「まわりくどく手順を踏んでいるような時間の余裕は無い」のです。

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