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新・mespesadoさん講義(86)冷徹な考察(承々前) [mespesado理論]

「冷徹な考察」の行き着くところは、人間の〈業(ごう)〉ともいうべき根源的課題です。これまでのmespesadoさんの講義から掘り起こしてみました。

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・mespesadoさん講義(73)〈対自性〉から〈即自性〉へ
https://oshosina2.blog.ss-blog.jp/2020-06-13
《mespesadoさんの議論の根底に流れる基調音を聴く。世界全体、この流れが主流になりつつあるのを思う。私自身はこの流れを「〈対自性〉から〈即自性〉へ」という言葉で思ってきた。バランス取りつつ〈世を凌ぐ〉のではなく、〈自らを生きる〉ということ。コロナ危機が引き金になって起ころうとしている大変革が〈大維新〉であるゆえんである。個人レベルから国家レベル、さらには人類全体レベルにまで巻き込んでの大変革を思う。》
・mespesadoさん講義(108)金言!
https://oshosina2.blog.ss-blog.jp/2020-08-10
《自分の得意分野で活躍するって、別に地位を得たり高収入を得ることじゃないと思うんですよね。そんな「外から」の評価なんてハッキリ言ってどうでもよい。要は自分の真の本心が、自分のやっている行動に納得しているかどうか。それがすべてじゃないですか?そんな「外から与えられた」目標を達成するためにやりたいことをガマンしたり、逆にやりたくないことを無理して努力したりするから人の足を引っ張りたくなるんですよ。もっと内面の、「本当の自分」に忠実に生きたら?と思いますよ。そういう世界では、下らん競争も嫉妬も無い。ただ、成果だけがものすごく伸びていく。今の日本って、かつては当たり前だった資源不足の問題なんてほとんど解決してその種の物理的制約なんて何も無いんだから、早くみんなで頭を切り替えればよい》
・新・mespesadoさん講義(2)「評価意識」からの解放
https://oshosina2.blog.ss-blog.jp/2020-11-11
《「他者の作った価値観」で「優位」を掴むために「頑張る」から苦しいのであって、そんな他者の作った価値観から解放されて、どうせ頑張るなら自分が真に意味があると自分で感じ、納得したことのために頑張ればよい。/ そういうわけで、それぞれの国民がこのような政治の混乱の中でどのように行動するのがよいのか、ということは、それこそ個々人が政治情勢の変動に一喜一憂するのではなく、そのような意味での政治への依存を止め、自らの頭で考えて、価値があると自分で真に思えたことをするために生きればよい。
・新・mespesadoさん講義(31)「評価脳」からの解放こそ
https://oshosina2.blog.ss-blog.jp/2021-04-16-3
《そもそも「評価意識」は、〈対自存在〉としての人間の〈業(ごう)〉なのではないか。としたら、ここから解放されることは果たして可能なのかどうか。根源的課題です。》

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月の教科書のコピー.jpgそしてここまで書いてきて今ハッと気づいたのが、マドモアゼル・愛さんの「月理論」です。要するに〈即自存在〉としての〈太陽〉に対して、〈対自存在〉としての〈月〉」ということなのです。《月は人間の可能性には一切関心を寄せないのです。/あくまでも「他人にどう見られるか、どう受け取られるか、それだけが人生である」という立場を取ります。見せかけと印象だけが、月が教えることのすべてです。》《月並みに暮らし、月並みに生き、上から与えられる情報を信じ、テレビや新聞が言うことだけを真実と思い、目先の楽しみを生きがいと錯覚させ、そのむなしさに気づいたときには、私たちはすでにエネルギーを月にすべて奪われてしまっているのです。》『月の教科書』9-10p)

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674 名前:mespesado 2021/10/21 (Thu) 20:43:01
>>671
 suyapさん推薦のパワーエリートのエリートという言葉。これこそがこの3次元世界のエゴを象徴する単語となっていると思います。
 エリート、つまり「選ばれし者」、つまり全人類の中で特別に他の人間を支配できる権利を持つ優れた人間、という風に、当人たちは自分達のことを認識している。一方、このエリートから漏れた人たちは、ややこしい政治は彼らエリートに任せておけばよい、とお気楽に構えている反面、逆に自分達はエリート達のように美味しい目にあう力がないので彼らに嫉妬したり妬んだりする、という関係にあり、これが本質的な「分断」を引き起こしている。この場合、エリート達は「優」、それ以外の庶民は「劣」というレッテルを両者ともに貼っているのだが、その優劣とは、この3次元世界で、自分の外にある基準で判定された優劣である。つまりは、エリートもそうでない人も、「外側の価値観」で自分の「価値」を判定して、それに満足したり不満を感じている。これこそがエゴの持つ価値観そのものである。つまりほとんどすベての人が、自分だと思っている自分(すなわち「エゴ」)の価値を、自分の外側の世界が定めている価値観で判定して生きている。この「エゴ」は、実は「本当の自分」ではなく、それを超えたところに「本当の自分」がある、ということに目覚めると、途端にエリートであるとかないとかいう価値観、つまり優劣、頭の良し悪し、能力の有無、善悪といった価値観はどうでもよくなる。今の世の我々に突き付けられているのは、この「エゴの呪縛」からの開放、なのではないか。これはエゴを消滅させろ、ということではなく、エゴは存在するが、それに縛られているということを外から眺めている別の自分の存在に気付け、ということだと思う。

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めい

マドモアゼル・愛さん「様々なゼロポイントのお話しと「ゼロ磁場とペンダント」のお取扱いについて」https://www.youtube.com/watch?v=gUhKNlOrBHA&t=792s
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即自存在=ゼロポイント

by めい (2021-10-31 05:47) 

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