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『北信濃 飯山の四季』(平山謙) [本]

飯山の四季3.jpg飯山の上村力氏から、写真集が届いた。平山謙氏による『北信濃 飯山の四季』《東京在住の写真家平山謙さんが10年程前から飯山市戸狩を拠点に飯山の自然の原点、これから変わり行く長野県飯山地方に残された風景を大切に集め【飯山の四季】という写真集を出版されました。尾崎氏の足跡が残っている写真集かと思います。贈呈させていただきますので、思いを深めて頂ければ、幸いでございます。/故郷の写真集を東京在住の方へお送り致したところ、大変感激して頂きました。人は全ての方に故郷があります。故郷を思う心は年を増すと共に深まるものです、と教えて頂きました。》と、上村氏の手紙にある。

飯山の四季1.jpg飯山の四季4.jpgさりげなくあるがままの中に言い知れぬ迫力を感じとる。その「迫力」が何に由来するのかを思いつつ、何度もページをめくった。この土地に生きる方々の、この土地に寄せる思いの深さが、ファインダーを覗く平山氏にたしかに伝わっている、そう思えた。私も20数年来の飯山の方々との交流で、この土地の人々の思いのありようがイメージできる。その思いの深さに神(尾崎家の先祖)が感応して起きた稀有の体験(奇跡)に私も立ち会ったことがあった。→「和光神社が結ぶ歴史的奇遇」https://oshosina.blog.ss-blog.jp/2010-04-02 この体験は、歴史はたやすく時空を超えて今と繋がりうることを教えてくれた。

宮内小学校校歌.jpgこの写真集から伝わるもうひとつ、飯山といえば「懐かしさ」だ。それはおそらく、この地(下水内郡)に生まれた高野辰之に負うところが大きい。『故郷』をはじめ、『故郷』『朧月夜』『もみじ』『春がきた』『春の小川』『日の丸の旗』、みんな高野辰之の作詞なのだ。わが宮内全盛の時代、大正11年の創立50周年に作られた宮内小学校校歌も高野辰之作詞(作曲 簗田 貞)であることは、おおいに自慢していい。その3番の歌詞から、高野辰之という人となりが伝わってくる。《うれいあらそいいかげもなく つねに明るきわが里は わが学校の窓ごとに 望み喜び輝けり よく学びよく進まん いざいざわが友》。「うれいあらそいかげもなく」、思えばまだその意味もわからぬまま、この言葉を幼い胸に染み込ませてくれたのだ。飯山の風土、人情に裏打ちされたこの言葉なのかもしれない。この写真集、そんなことも思わせてくれました。

飯山の四季5のコピー.jpg飯山の四季2.jpg


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平山謙

高岡亮一さま
飯山の上村力さまのご縁で、「写真集飯山の四季」をブログで紹介していただき、有難うございます。
私も、飯山に通っているうちに飯山が上杉藩であったこと、そして米沢との繋がりを知ることになりました。私は米沢のあるお寺さんで、「五百羅漢像」が祀られているお寺を拝観した時、その寺は飯山から移築された寺を知りました。飯山で写真撮影していると、尾崎藩の住居跡が外様の田んぼの中にあることを知り、その歴史をより深く知ることになりました。飯山の写真集がこうして歴史的な繋がりの橋渡しとなることは光栄であります。これからも、上村力さまともども、宜しくお願い申し上げます。平山謙 携帯09070042941

by 平山謙 (2021-09-06 17:56) 

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