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東京・天理行(8)石上神宮参拝 [日記、雑感]

石上神宮1.jpg会見を終えて、東京駅へのタクシー車中から皇居を拝しつつ、孫のいる三重へ向かう。翌日、娘の車で天理市の石上神宮へ。前日の新幹線も熱海付近の大雨で1時間ぐらい遅れたのだったが、この日も途中大雨、三重から奈良への名阪国道を約2時間、天理市の東端入り口に鎮座する石上神宮に着いた。

世界でいちばん行ってみたい場所が白頭山(長白山)だった(「白頭山(長白山)行」https://oshosina2.blog.ss-blog.jp/2019-12-31)とすれば、日本でいちばん行ってみたい場所が石上神宮だった。記者会見参加の決断は同時に、石上神宮参拝の決断だった。

「東方(ひんがしのかた)に美(うま)し地(くに)有り。青山(あおやま)四周(よもにめぐ)れり。・・・けだし六合(くに)の中心(もなか)か」(『日本書紀』)豊葦原瑞穂国の平定を目して勇躍東に向かったカムヤマトイワレヒコノミコト(神武天皇)、熊野の地に至って突然毒気に襲われる。軍勢ことごとく倒れこむ中、その悪しき霊気を祓ったのが、天よりタカクラジノミコトに下された天劔(アマツツルギ)であった。その天劔(布都御魂大神)の鎮まり給う場所が石上神宮に他ならぬ。《石上大神は神州正気の大根本である》(友清歓真)。先般青葉神社における祝詞に曰く《辞別て白さく新型コロナなる流行病(はやりやまい)に惑わされて怪しげなる異物(いなるもの)身中(みのうち)に入れるべく世を挙げて狂いおるを天劔(あまつつるぎ)の御力(みちから)によりて速やけく正気(せいき)に還りせしめ給へと畏み畏みも乞祈み奉らくと白す》。石上神宮はいまどうしても参拝せねばならぬ神様だった。

山縣有朋書S.jpg石上神宮5.jpg静かな境内だった。手水場付近には色とりどりの人懐っこい鶏たちが迎えてくれる。正式参拝を願った。工事中のため拝殿昇殿が叶わぬとのことで、本殿西に位置して新築なった儀式殿に導かれた。儀式殿に通ずる参集殿に入ってすぐに掲げられた額「萬古猶新」、山縣有朋公の書であることが嬉しい。公については岡義武『山県有朋―明治日本の象徴』(岩波新書)を読んでレビューしたことがある。https://oshosina2.blog.ss-blog.jp/2020-01-18 山縣有朋は、政党内閣は天皇統治というわが国体の建前と相容れない》の信念で国家の大計を念じ、政治の一番奥深いところから国の行く末をコントロールしつづけた政治家であった。》《山県有朋は「議会政治」の限界を見据え、政治の「結果」を何より重視しつつ権力の座に身を置いた。権力欲のゆえではない。ひとえに「国の為」である。》と記している。

石上神宮儀式殿S.jpg

正式参拝は若い神職の奉仕によった。気持ちのいい御神事だった。終えて話ができた。「石上の神さまは厳しい神様でいらっしゃいまして、気の緩みなどがあればそれとなくご教示下さいます。そのことに後で気づくのです。」天行居信条(及心得)第二十六条《・・・神様は敬神者のために大なる災禍を小ならしめ其の遠きものを近よせて普通にみれば災害むらがり起るかと思はれるやうな境地に導かれることもありますが、これ其人が真に浄められつつ恩寵の境に導かれる幸福の音づれであります、・・・》の言葉が去来した。体験としてよくわかる。そうして導かれてきた。

神宮を出てすぐのところに立派なお屋敷を改造したいいレストランがあった。ランチタイムは過ぎていたが、サンドイッチとコーヒーで十分堪能できた。山形新幹線の最終で家に着いた。中身の濃い2日間を過ごすことができた。その後の展開は急である。

(東京・天理行 終)

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