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山形県地域史研究協議会に参加 [メモ]

半年ぐらい前だったか、市民大学運営委員会で佐藤庄一会長から、山形県地域史研究協議会の分科会に出て話すように依頼されて、その会が何かも分からぬまま引き受けていたのだが、その会が昨日(4日)あった。与えられたテーマは「製糸業隆盛の遺産ー漆山多勢家を中心にー」で20分程度、3年前の市民大学で語った内容から抽出した資料をバタバタ用意した。

製糸業隆盛の.jpg

参加してみて、日頃の研究成果をまとめて報告する歴史研究者のハイレベルな会であったことにはじめて気付かされた。発表時間が20分で質疑の時間が10分という短さの理由もそれで理解できた。毎年「地域史研究」なる立派な冊子が発行されていて、それに研究成果を発表するのが目的であり、その要約を述べる会がこの日の趣旨であったのだ。それがわかっていれば別の言い方があったのだが、終わったからもうしょうがない。錚々たる県内歴史研究家の前で、「私は歴史研究者ではなくて、ただ、地元の歴史を若い人に伝えておきたい、その気持ちでやっている。」と語り始めたのだが、場違いだったかもしれない。なんの質問も出なかった。停学体験も共にした、高校以来のごく親しい友人の気安さで軽く引き受けたのが悪かった。どういう趣旨の会なのかよく聞いておくべきだったと深く後悔。考えてみれば、県考古学会の会長という重鎮からの依頼だったのだ。

私に割り当てられた分科会は私の他に須崎寛二先生(「米沢藩の在郷医者の修行」)と小林貴宏氏。須崎先生はよく知るが、「高畠線と沿線の諸産業」について発表の小林氏、その話が実に興味深く、どういう方なのだろうと今調べたら、高畠町職員労働組合出身で連合山形置賜地域協議会副議長の肩書きをお持ちの方だった。さすが高畠鉄道の盛衰を、産業の論理、資本の論理の視点から鋭く分析しておられ、いろいろ教えられた。特にこの地域の果樹生産の歴史について、新たな目を開かされた。

助言者が梅津保一先生、尾花沢出身の高校の先生で新採で赴任したのが昭和39年宮内高校。「なんと煙突の多い町か」と、まだ製糸業隆盛の余韻が残る当時の宮内の思い出をいろいろ語られた。会が終えてから話していたら、『羽前エキストラ格製糸業の生成』森芳三先生と研究を共におられたとのこと。唐突に、教え子だったということで鹿又源司郎さんの名がでてきたのに驚いた。「梅津先生にお会いした」と、お墓に行って報告することを約した。

菊地和博先生もおいでで、多勢丸中邸の今後についてあらためて力になっていただける話ができたのも良かった。

なんかよく分からぬまま出かけていった会だったが、今後につながるいろんな収穫がありました。何よりも、ハイレベルな研究誌に掲載していただくとなれば、張り切らざるを得ません。

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