新・mespesadoさん講義(45)変わるチャンス [mespesado理論]
①mespesado理論のいちばん大事なところです。→《「消費」こそが(少なくともこの3次元世界では)目的》
②「あれも要らない」「これも要らない」‥‥‥そうやって残ったものが大事にしなければならないこと。そこからこれからの世の中、自分の生き方を構想する‥‥‥。まさかこんなことを本気で考えることのできる世の中が巡ってこようとは、思いもよらないことでした。天が与えてくれたチャンスなのかもしれません。
* * * * *
321:mespesado :2021/06/15 (Tue) 08:41:54
専業主婦は「働いてる」とは言わないの?と問う漫画
https://twitter.com/i/events/1404273743514333184
漫画を描きながら、主婦の仕事もこなすみこまるさん(@micomalu)が、専業主婦は「働いてる」とは言えないの?と漫画を通して問いかけます。夫の言葉が心に響き、「働く」とは何かを考えさせられるエピソードです。
↑こういう話が「問題提起」になっっちゃってるところが何とも…
この「問題提起」とは、要するに「賃金あるいは所得を得られない仕事は仕事と言えるのか」ということだと思うのだが、そういう問題の背景には、「人は仕事によって収入を得なければ消費してはいけない」という「労働」という名の「宗教」が横たわっていることを忘れている。だからこそ、それによって収入が得られないような主婦業など仕事の名に値しない、という価値観が生まれ、それに対して反発する方も、いや、主婦業だって立派な仕事だ、と見做せるような何かしらの言い訳を探さなければならなくなる。
そもそも「仕事」は何のために必要だったのか?それは「生産」するためでしょう?じゃあ、何のために「生産」するかと言えば、それはその生産物を「消費」するためでしょう?この「消費」こそが(少なくともこの3次元世界では)目的のはず。ところが、機械が生産するようになれば、人間による生産は要らなくなり、従ってこの本来の目的で言えば、仕事も要らなくなる。すると、単に人間社会で消費するのに必要な生産量を確保するための洗脳思想に過ぎなかった「人は仕事によって収入を得なければ消費してはいけない」という労道倫理も要らなくなる。すると、「主婦業が仕事であるかどうか」などという話はそもそもどうでもよくなる。「主婦業」なるものが、相変わらず人手を要してシンドいなら、どんどん自動化してしまえばよい。つまり「主婦業しかしていない私ははたして義務である仕事なるものをしているまともな人間と言えるのだろうか」などという方向で悩むんじゃなくて、「主婦業はまだこんなに人間による手間がかかって仕方がない。どうやってこれを機械によって自動化して人間がやらなくても済むようになるかな~」という方向に思考の方向を転換すればいいじゃないか。その方がよほど建設的だし、気分もポジティブになるだろうに…。
322:mespesado :2021/06/15 (Tue) 08:52:38
“マスク”に覆われた不平等
…「コロナ禍の教育格差」を直視しない“深刻すぎる”日本の実態
https://twitter.com/i/events/1404279071169671170
↑「コロナで世の中が機能不全になったのを、いかにしてもとの状態に復帰させるか」← 多くの日本人は、こういう方向にばかり囚われてるような気がするが、そういう問題が噴出した一例が、この「学校教育問題」だと思う。こういう話を見聞きするたびに、私なぞは「何でもとに戻す必要があるの?」と、まず思ってしまう。そもそも頃菜惑珍だって、「頃菜禍前の生活に早く戻りたい」と思うからこそ「惑珍を打てばもとの生活に戻れる!」という期待と焦りによって、皆がそういう方向に突き進んでしまうんでしょ?もとの世界って、そんなに戻りたいと執着するほどご立派なものなんですかね?口先だけは政治を批判する人も、我々を無自覚に「支配」している根底の価値観を自覚し、反省して変えるチャンスだ、というところまでは考えが及んでない気がしてならない。
専業主婦は「働いてる」とは言わないの?と問う漫画
https://twitter.com/i/events/1404273743514333184
漫画を描きながら、主婦の仕事もこなすみこまるさん(@micomalu)が、専業主婦は「働いてる」とは言えないの?と漫画を通して問いかけます。夫の言葉が心に響き、「働く」とは何かを考えさせられるエピソードです。
↑こういう話が「問題提起」になっっちゃってるところが何とも…
この「問題提起」とは、要するに「賃金あるいは所得を得られない仕事は仕事と言えるのか」ということだと思うのだが、そういう問題の背景には、「人は仕事によって収入を得なければ消費してはいけない」という「労働」という名の「宗教」が横たわっていることを忘れている。だからこそ、それによって収入が得られないような主婦業など仕事の名に値しない、という価値観が生まれ、それに対して反発する方も、いや、主婦業だって立派な仕事だ、と見做せるような何かしらの言い訳を探さなければならなくなる。
そもそも「仕事」は何のために必要だったのか?それは「生産」するためでしょう?じゃあ、何のために「生産」するかと言えば、それはその生産物を「消費」するためでしょう?この「消費」こそが(少なくともこの3次元世界では)目的のはず。ところが、機械が生産するようになれば、人間による生産は要らなくなり、従ってこの本来の目的で言えば、仕事も要らなくなる。すると、単に人間社会で消費するのに必要な生産量を確保するための洗脳思想に過ぎなかった「人は仕事によって収入を得なければ消費してはいけない」という労道倫理も要らなくなる。すると、「主婦業が仕事であるかどうか」などという話はそもそもどうでもよくなる。「主婦業」なるものが、相変わらず人手を要してシンドいなら、どんどん自動化してしまえばよい。つまり「主婦業しかしていない私ははたして義務である仕事なるものをしているまともな人間と言えるのだろうか」などという方向で悩むんじゃなくて、「主婦業はまだこんなに人間による手間がかかって仕方がない。どうやってこれを機械によって自動化して人間がやらなくても済むようになるかな~」という方向に思考の方向を転換すればいいじゃないか。その方がよほど建設的だし、気分もポジティブになるだろうに…。
322:mespesado :2021/06/15 (Tue) 08:52:38
“マスク”に覆われた不平等
…「コロナ禍の教育格差」を直視しない“深刻すぎる”日本の実態
https://twitter.com/i/events/1404279071169671170
↑「コロナで世の中が機能不全になったのを、いかにしてもとの状態に復帰させるか」← 多くの日本人は、こういう方向にばかり囚われてるような気がするが、そういう問題が噴出した一例が、この「学校教育問題」だと思う。こういう話を見聞きするたびに、私なぞは「何でもとに戻す必要があるの?」と、まず思ってしまう。そもそも頃菜惑珍だって、「頃菜禍前の生活に早く戻りたい」と思うからこそ「惑珍を打てばもとの生活に戻れる!」という期待と焦りによって、皆がそういう方向に突き進んでしまうんでしょ?もとの世界って、そんなに戻りたいと執着するほどご立派なものなんですかね?口先だけは政治を批判する人も、我々を無自覚に「支配」している根底の価値観を自覚し、反省して変えるチャンスだ、というところまでは考えが及んでない気がしてならない。
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