吉里吉里忌(大竹しのぶさん来演) [井上ひさし]
3年ぶりに吉里吉里忌に行ってきた(3年前→「「吉里吉里忌」(1) 栗山民也氏の思いの極み」https://oshosina.blog.ss-blog.jp/2018-04-25-1)。案内が届くとすぐファックスしたので最前列の特等席で大竹しのぶさんの話を聞くことができた。1957年生まれとのこと、テレビで見るとそれなりの年輪を感じてしまうのだけれども、実物はまだまだ少女のあどけなさを感じさせてくれた。閉会の時に、司会の古屋さんの「大竹さんがまだおられるのでもう一度ご挨拶を」との呼びかけに応えて再登場、その後手を振って小走りに退場の様子は、昔のままの大竹しのぶとして目に焼き付いた。「ヨイトマケの唄」はまさに絶唱。youtubeでも聴けたが、目の前で聴くのとはだいぶ違う。軽い気持ちで案内に乗ったのだったが、十分重かった。得した1500円だった。
『太鼓叩いて笛吹いて』の林芙美子について、古屋「戦前は軍隊賛美の文章を書いて、戦争中従軍記者になって、戦後になってあれは間違いだった・・・どう思われましたか」大竹「間違いに気づくということがどれだけ大事かを教えてくれた」古屋「戦争に対してあなたたちはNOと言いましたかと観客に問いかける・・・『物語』という言葉がキーワードとして出てくるんだけれども、どう思いましたか」大竹「『物語がこの世の全て』、上の人間がつくりあげる物語、その上の人間を選んだのは私たち、という社会の仕組み・・・GOTOキャンペーンやオリンピック、そこに得をする人がいる、・・・今井上さんがいたらどんな物語をつくってくれるんだろうってほんとうに思いますね。・・・311の後、世の中大きく変わりましたけれども、井上さんがどんな物語をつくってくれたか、すごく知りたいんですよね。そういう人が今いないなあ、と思いますよね。・・・こっちだよーって言ってくれる人がいなくなってしまって・・・」
この辺のやりとり聞きつつ思ったのが、みんな一つ方向に向けさせられる、ということでは過去の戦争も今のコロナもおんなじ。たしかに大竹さん言われるように、井上ひさしさん生きておられたら、この今をどう物語ってくれただろうか、ということでした。「コロナ騒ぎに対してあなたたちはNOと言いましたか?」→「『コロナ脳』を読んで」https://oshosina2.blog.ss-blog.jp/2021-04-04
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【追記 2021.4.13】
今朝の山形新聞記事。(4/12は休刊日)
【追記 2021.4.18】
今朝の山形新聞「談話室」。大竹さんの「ヨイトマケの唄」のことが書いてあります。
山形新聞記事、追記しました。
by めい (2021-04-13 09:34)
美輪明宏『ヨイトマケの唄』
* * * * *
Q.「へぇ~、この曲ってこの人の作曲なんだ!」とびっくりしたことはありますか?
https://jp.quora.com/%E3%81%B8%E3%81%87-%E3%81%93%E3%81%AE%E6%9B%B2%E3%81%A3%E3%81%A6%E3%81%93%E3%81%AE%E4%BA%BA%E3%81%AE%E4%BD%9C%E6%9B%B2%E3%81%AA%E3%82%93%E3%81%A0-%E3%81%A8%E3%81%B3%E3%81%A3%E3%81%8F%E3%82%8A%E3%81%97%E3%81%9F
A. Yoshikawa Toshirou(日本大学文理学部卒業)
質問ありがとうございます。
おそらく曲タイトルを見ただけでは、何の歌かわからないと思いますが、
曲の歌い出しを聴けば、誰もが知っていると思います。
1965年『ヨイトマケの唄』美輪明宏(リリース時『丸山明宏』名義)
Yoitomake No Uta - Akihiro Miwa / ヨイトマケの唄 - 美輪 明宏 (1964)
作詞・作曲『美輪明宏』
https://www.youtube.com/watch?v=8NK9jtPyQdk
美輪明宏が『ヨイトマケの唄』の作曲を開始した切っ掛け
美輪は当時(1960年代初頭)すでに、きらびやかな衣装でシャンソンを歌っていた。
ある時、興行主の手違いで、筑豊の『嘉穂劇場』でコンサートを行うことになった。
最初美輪は、炭鉱町でのコンサートに、乗り気ではなかった。
しかし、炭鉱労働者たちが安い賃金をつぎ込んでチケットを求め、客席を埋め尽くしている光景を見た。
「これだけ私の歌が聴きたいと集まってくれているのに、私にはこの人たちに歌える歌がない」
と感じて、労働者を歌う楽曲を作ると決意した。
テレビなどメディアでの歌唱が少なかった理由
歌詞の中に差別用語が含まれるため『日本民間放送連盟』の『要注意歌謡曲』指定や、
1988年『要注意歌謡曲』公力失効後も、民放側の自粛、曲自体が忘れられているなどの理由で、長い間、テレビでの歌唱、放送などされなかった。
1990年にはある民放テレビ番組で、この曲を披露するチャンスがあった。
しかしテレビ局側は1度、歌の差し替えを求めた。
美輪は歌唱なしでの出演に応じた。
しかし制作会社の要望で歌うことになった。
ところが放送2日前にまた『歌はやめてほしい』
美輪は番組出演自体を断った。
このことがきっかけで最近まで美輪は、NHK以外のテレビで歌うことを避けていた。
しかし、1998年以降、『泉谷しげる』、『桑田佳祐』などがカバーして話題となり、
美輪本人もまたテレビで歌唱を披露するようになった。
ヨイトマケの唄(2000年版)美輪 明宏
https://youtu.be/8NK9jtPyQdk
アルバム美輪明宏全曲集2014
by めい (2022-03-03 02:52)