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『江戸の歴史は隠れキリシタンによって作られた』を読む [本]

江戸の歴史は隠れキリシタンによって作られた.jpg江戸の歴史は隠れキリシタンによって作られた』(古川愛哲 講談社新書 2019)を読んだ。『秀吉はキリシタン大名に毒殺された』のタネ本のひとつだったようだ。キリシタンの痕跡、近くにも思い当たることが多々ある。マリア観音.jpgとりあえずは、宝積坊に行って子育て観音の写真を撮ってきた。→ 小関堅太郎 著「宝積坊マリア観音・雑記」。文中、全国の子育て観音が紹介されているが、県内東根龍泉寺のものは「秀作」という。いつか見てみたい。https://www.jalan.net/theme/yadolog/jiman/jiman_0002054771.html
昨年の市民大学講座で『秀吉はキリシタン大名に毒殺された』にふれ、蒲生氏郷について語ったが、「キリシタンについて聞いてみたい」というアンケート感想があった。脈絡ができたらまとめてみたい。地元史との関連で書いた記事がある。→「『秀吉はキリシタン大名に毒殺された』(3)地元史とキリシタン①」https://oshosina2.blog.ss-blog.jp/2020-10-21-1「『秀吉はキリシタン大名に毒殺された』(4)地元史とキリシタン②」https://oshosina2.blog.ss-blog.jp/2020-11-01
この本、あらためて身の周りの歴史とキリシタンとのつながりに目を向けさせてくれたが、私にとっていちばんの収穫は「なぜ日本人がキリシタンに惹かれたか?」について示唆してくれたことだ。ルイス・フロイスの『日本史』を出典に、虚言を振りまく仏僧を懲らしめるキリシタン武士(渡辺太郎左衛門)、孤児救済や癩病治療にあたった、医師免許を持つポルトガル商人(アルメイダ)、日蓮宗徒で金貸しだったがキリスト教に転宗するや利息をそっくり返すか教会に寄付した京の商人(ヌマズ)の例を挙げ、《このわずかな例をもってしても、どれほどイエズス会の慈善活動が、戦国時代の日本人の心の奥底に潜んでいた善意を開花させたかが分かる。戦乱のなかで貧困に苦しむ人に多くの富裕な日本人は手をこまねいていたに過ぎない。日本人の奉仕と福祉の精神を目覚めさせたのは、キリシタンの思想と活動だったのである。》(65P)ところが、これに対抗したのが仏僧たちであった。天文21年(1552)に日本で最初のクリスマスを祝ったというコスメ・デ・トルレスについて、《トルレスは、いくらかの金を借りて米を買い入れ、大釜に粥を炊いて群衆に振る舞った。この時代の日本において、こうした民衆を救済する慈善事業を行うのは、キリスト教会のほかにはない。こうしたトルレスたちの献身的な活動に、僧侶たちは石を投げつけていた。・・・当時の寺社は領地を守るために軍事力を蓄え、僧侶は民衆の救済など眼中にもない。しかし僧侶が宣教師に投石し、唾を吐きかけて侮辱すればするほど、それを見た者は教会の信者となり、武士も同じであった。》(59-60p)既存権威に基盤を置く仏教勢力に対して、自然な共感感情を優先し、権力基盤のない新興勢力としてのキリスト教、権力へのルサンチマン(怨み)も手伝って、大いに勢力を広げていくことになった様が想像される。それに対して、キリシタン弾圧と裏腹の寺請制度によってその基盤を盤石にした仏教(寺社)勢力は、「自然感情の抑圧」という性向を江戸期以来さらに補強することになった、という仮説もあり得るか。ともあれ、隠れキリシタンの根底にあったのは、人間にとってごくあたりまえな「共感に基づく自然感情」であったらしいことに気づかせてくれた。江戸期以降の「権力第一義の仏教(寺請制度)vs.自然感情第一義のキリスト教(隠れキリシタン)」という基本構図ができた。新しい視野を得た気がする。

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