「官民融合」(予算委員会)(1) [議会]
昨日予算委員会。388pの予算書、一通り目を通せば訊きたいことは限りなく出てくる。事務的な質問で理解する場も設定されるが、議場での議論に持ち込みたいことも多い。すべての市の事業が質疑の対象となる3月議会の予算委員会は、年間を通していちばんのがんばり場。日程も3日間が用意されている。昨日はその初日。しかし傍聴者はゼロ。議会中継もない。思ったより発言は少ない。私も訊きたいことを絞って発言しているのだが、それでも手をあげるたび「またか」と言われているようで気が引ける。つい言葉が過ぎたかして、議院運営委員会に呼び出されて注意を受ける場面もあった。バンクシーの名言を思い出す。《いつだって許可をもらうより、許しを得る方が簡単だと覚えておいてください。》→https://oshosina.blog.ss-blog.jp/2019-02-06 「議会の品位」感覚が活発な議論を阻害しているのではないか。「議会の品位」などは二の次、三の次でいいと思うのだが。(→「蟻の一穴、安芸高田市議会」https://oshosina2.blog.ss-blog.jp/2020-10-27-1)「新しいものが生まれてくるのは肉声からであり、カオスから」というのが「大人感覚」を通り越した老い先を思う者の感覚なのです。
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今回の議会を通して、一般質問も含めてずっと頭を占めるのが「官民融合」。コロナ禍によるかつてない経済生活へのダメージ、それに対処する「10万円一律給付」に代表される官による経済対策。これまでは、「官民」というと次に続く言葉は「格差」であったりして官と民の齟齬ばかり意識される傾向があったが、歯車が逆回転しだしているような気がしだしていたのだ。実は、昨日の議会、その辺を補助金をめぐっての議論で明らかにしたかったのだが、うまく伝わらず議運への呼び出しということになってしまった。あらためて真意を整理しておきたい。
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今月の日経「私の履歴書」、島精機製作所会長の島正博さん。一昨日、昨日(11、12)がすごかった。
子供の頃から発明少年で16歳で手袋編機で特許をとった島氏(1937〜)27歳の1964年の暮れ、資金繰りに窮した中で1日1時間の睡眠でがんばる。《もし開発に失敗したら、午後3時すぎに通過する急行に2人(後藤専務と)で飛び込もうと計画した。その後も金策に走り回ったが、どうしても60万円の手形が落とせない。「もう列車に飛び込むしかない」と覚悟を決めた決済の前日、奇跡が起こった。》で昨日につづく。昨朝新聞が届くのを待ちかねて読んだ。《奇跡は1964年のクリスマスイブに起こった。12月24日夕刻、風呂敷包みを持った初老の紳士が私を訪ねてきた。60万円の手形決済が翌日に迫っていたが、資金繰りのメドは立たず、頼みの全自動手袋編み機の新型機も思い通りに動いてくれない。何度も言うが、試作機と格闘中の私は12月に入ってからの睡眠時間が計22時間、お腹を満たすと眠くなるので食事は3時間に一回少量をとるだけ、とにかく時間が欲しかった。/見知らぬ訪問客に怪訝な顔をしている私の前でその紳士はおもむろに風呂敷を広げ包みから現金100万円を取り出し、そしてこう言った。/「明日の決済に間に合うようにカネを持ってきたで、領収書はいらん。そんなもん書いているヒマがあったら仕事をしなはれ。返済はカネができてからでええから」》もはや神がかりの世界。この紳士の名は上硲(かみさこ)俊雄。その経緯。仕掛け人は当時和歌山県経済部長の仮谷志良さん。かねてから島氏を評価し資金繰りに苦しむことも知っていた。ひそかにスポンサー探しを部下で中小企業診断士の田村徹氏に頼んでいた、田村氏が見つけてくれたのが上硲氏だった。《「地獄で仏」「九死に一生を得る」とはこういうことに違いない。目の前が一気に開けたのだ。私はさらに一週間一睡もせず12月31日午後3時、ついに全自動角型手袋編み機が完成した。》当時県経済部長の立場でシナリオを書いた仮谷氏はその後和歌山県知事を務めたという。昨日の朝、この記事に「官民融合」の典型を見た思いで、予算委員会に臨んだのだった。(つづく)
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