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『上杉鷹山 』(小関悠一郎)を読む(6)まとめ [上杉鷹山]

51A  青年鷹山公線画.jpg15日の振興審議会、たまたまこの本(『上杉鷹山』)をバッグに入れて行ったら、隣の席が著者のお父さん小関文典教育委員(元山大英文科教授)でした。思わず取り出して「息子さん、いい本出したね。」3月3日(水)のNHKBS午後8時からの「英雄たちの選択」、鷹山公がテーマで悠一郎氏が出演との耳より情報を得ることができました。お父さんにも「そのうちアマゾンにレビュー書くから」と言ってきたところでした。

振興審議会は、これまで審議してきた第6次南陽市総合計画基本計画(案)の確認が主なテーマでした。終了後市長も同席して全員が発言する機会が与えられました。NDソフトの佐藤会長が「わが社はもう半分以上がテレワーク、新幹線で東京から2時間というアドバンテージを活かせ。たとえば赤湯駅近くに貸しオフィスを用意して東京からのビジネスマンを呼び込むとか」と提案していました。大友JC会長は、「地元に根ざした人材育成によって地域に土台を」と語っていました。私も基本計画に目を通して「南陽らしさ」が希薄なことが不満でした。「私は南陽市民憲章がきらいだ。中途半端な形での合併だったので最大公約数的な市民憲章ににしかならなかった。われわれは南陽市レベルでなくて、置賜レベルで考えた方が地域らしさが出せる。置賜という視点がなかったのが残念。」そして鷹山公へ。「200年前、鷹山公の治世を学ぶために全国から多くの人がこの地を訪れた。そういう時代があったことを誇りに思っていい。置賜にはその土台がある。」そして「小関委員の息子さんが鷹山公についてのいい本を出した。この本のすごいところは、これまでの、外から養子に入った鷹山公が偉かったという思い込みをぶちやぶって、必死の思いで鷹山公を『明君』に仕立て上げねばならない地元の人材があったことを鮮明にしたことだ。第一の改革では竹俣当綱、第二の改革では莅戸善政、第三の改革ではその息子の政以、そしてその下にはそれを支える人たちがいた。幕府への領地返上まで考えねばならないほど窮していた藩政をなんとか立て直さねばならないという切羽詰まった地元の人たちの思いあっての明君鷹山公だったのだことが、この本で明らかになった。市長はじめぜひ読んでほしい。」こんな内容を発言しました。

以下、アマゾンにレビューするつもりでまとめてみます。

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鷹山公(髙岡家).jpg前著『上杉鷹山と米沢』で鷹山公の実像に迫る新たな視点をさらに固める好著。この本の意義を2点あげたい。

ひとつは、高鍋藩秋月家から上杉家に養子に入った鷹山公だからできた藩政の立て直しという「地元ダメ、よそ者エライ」的感覚をぶちやぶり、鷹山公が「明君」たりえたのは、そうあってもらわねば立ち行かない切羽詰まった家臣団の思いあってのことだったことを明らかにしてくれたこと。幕府への領地返上まで考えねばならない窮地に立たされた米沢藩家臣たちは、切迫した思いをもって幼少の鷹山公を見出し、鷹山公を「明君」に仕立て上げることに成功した。貧すれば鈍す、地元はえぬきの人材枯渇の中に舞い降りた一羽の鶴のおかげで救われた、そんな思いこみは覆った。家臣の間には、謙信公以来の上杉家の矜持が生きていた。その上での「明君」鷹山公だった。第一の改革を担った竹俣当綱、第二の改革の莅戸善政、共に鷹山公への大きな期待を抱きつつ、文字通り命がけの修羅場をくぐり抜けた。鷹山公はよくその期待に応えうる資質を備えていた。最大の試練であったにちがいない七家騒動を乗り切った後の鷹山公に、気の緩みを見てとった莅戸善政の容赦ない叱責に緊迫した君主関係を見る。こうしたプロセスを経て上杉武士の矜持は鷹山公に伝わっていった。

もうひとつ、莅戸善政の子政以がリードした第三の改革に光が当てられた意義も大きい。第一の改革、第二の改革によって藩経済は軌道に乗った。しかしそこから新たな課題が生まれていた。《自然と利にも趨(はし)りやすく成り行き候事、勢いの自然とは申しながら残念なる事》(『仰示』1804)の鷹山公の言葉が残る。寛政の改革が軌道に乗り出すと、米沢藩士の間には利を求めて販売に従事する者、商人のように藩外との取引を行う者も多く出るようになった。それゆえの摩擦軋轢をどう乗り越えるか。それが第三の改革の課題であった。藩民意識すなわち「風俗道徳」が課題となる。それこそが鷹山改革の仕上げであり、眼目であった。

「寛政以来、御治声高く、諸藩より来て、法を取る者(学びに来る者)多し」(『鷹山公遺跡録』)米沢藩の改革が幕府公認となったこともあって、多くが米沢を訪れる。しかしその関心は「利」に向けられたものだった。第三の改革が課題とした「義」は、深く沈潜させられたまま、幕末の動乱を経て「利」の追求そのものの近代をくぐり抜け、今に至る。本著の最後は《「富国」の政治課題化の始点に位置して、「富国安民」を追求した上杉鷹山の改革は、近代日本が採用した「富国強兵」の国家理想とは一線を画すものとして、現代の私たちに多くの問いを投げかけているのである。》いま鷹山公がおおいに着目されるとするならば、そのゆえんはいまだ行き着かぬ第三の改革の課題、「利」の先の「義」という課題にわれわれが直面させられているからなのではあるまいか。


【追記2021.5.22】

天見玲「鷹山をめぐる2冊」.jpg

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めい

山形新聞「気炎」欄、天見玲さんの「鷹山をめぐる2冊」を追記しました。

by めい (2021-05-22 04:50) 

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