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一般質問(2)「宮内から新しい拠点をつくろう会」最終報告について [議会]

山形新聞2.9.5.jpg
今朝の山形新聞が市長答弁をうまくまとめてくれていました。そこのところ、NCVの録画から録音しました。
家に戻って録画を見て、市長が確言したのは「宮内公民館」であって「南陽市文化センター」ではなかったことに気づいてがっかりしたが、とりあえず今回はここまでで精一杯。採点すれば50点か。
拠点チラシ2.jpg拠点チラシ1.jpgせっかくの最終報告書の中身にまで踏み込めなかったのも心残りなのでちょっとその内容紹介。この会発足の思いとして3点、《①地域の課題は、自分たちの課題として取り組む ②公民館が担ってきた役割及び機能を大切にする ③公民館の枠を越え、地区や世代を越えた広域的な拠点を考える》。度重なる議論を経た上での「三つの大きなビジョン」、《①人が集まって来る場所 ②子どもを育む場所 ③文化を大切にできる場所》。話し合いの中でなんといっても「集まる場所がほしい」の声で一致した。私のイメージ、「だれもが気軽に集える場」、そこに行くといつもワイワイガヤガヤ、何時間でもすごせます。いろんな本があったり、情報誌があったり、そして最先端IT環境に対応します。
カフェのようなものがあってもいいです。軽い食事で一日過ごせます。
弁当持ってきて食べれる雰囲気あっても楽しい。(昔の「弁当持ち」思い出した)
南陽の情報の集積地の役割も果たします。観光の人、熊野大社参拝の人も気軽に立ち寄れます。だれでも気軽に出せるフリー売店コーナーがあってもいい。いろんな催事も行えます。菊まつりには、ここをメイン会場にして、フルに活用します。》いろんな人がなんとなく集まってきて、そこでいろんな語り合いができる、この「宮内から新しい拠点をつくろう会」自体にその方向性が見えていた。
活動履歴.jpgそれにつけても、最終ページの活動履歴を見て、あらためてすごい会だったと思わされている。この会ではじめて出会う人も多かった。みんな自分の意思で集まってきた人ばかりだ。会合を重ねるうちに、みんながそれぞれにイメージを膨らませていった。資料として添付された「会員による提言」、ひとりひとりが思いおもいに書いたA4 10pの提言集。私には宝物に思える。市当局もじっくり目を通してほしい。
さて、今の一般質問は壇上質問もふくめて制限時間50分、質問の回数には制限がない。以前は時間制限がなくて質問回数は再質問、再々質問までだった。たしかに今の方がきめ細かくできる。こっちはなんとか、対話ないし議論にもっていきたいと思って質問するのだが、答える方は「質問をどうかわすか」に重きを置いているようでなかなか嚙みあわせるのが難しい。「質問する側」と「答える側」が、「攻める」と「守る」の関係になってしまっていて、気持ちを通じ合わせたたりとり、建設的なやりとりにもっていくまでエネルギーが要る。あるいは、時間制限があるために、質問する側に「その時間を使い切らなければならない」という意識が働いて、どうでもいいようなことにこだわった「時間つぶし」もでてくる。あまり人のことを言えたものでもないが、2回目の一般質問であらためてわかってくることもあった。
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 大きな2番目の質問として、5月15日付で宮内地区長会長と宮内から新しい拠点をつくろう会から出された「宮内から新しい拠点をつくろう会」最終報告書についてお尋ねします。
(1)この報告書は、宮内公民館改築問題がきっかけとなって発足した会が、足掛け3年にわたって議論を重ねてきた結果としての報告書です。この報告書にすべて同調するものではありませんが、私も会の一員として議論に参加し、その中で私なりの構想を育ててきました。この問題は、最初の日本の財政についての質問とも関連しつつ、南陽市が自由な発想をもって明るい未来に向かうことができるかどうか、そのための試金石と考えます。その観点から質問します。
 

 まず、この最終報告書をどう受け止めたかをお聞かせください。


(2)宮内公民館は、昭和57年4月新市庁舎移転に伴い、その年の10月施行の「南陽市文化センター設置条例」に基づき「市民の文化活動を助長し、芸術及び文化の向上に寄与する」目的で設置された「南陽市文化センター」と併設されるものです。このことが「宮内から新しい拠点をつくろう会」の議論の前提です。そこでお尋ねします。


①現在、「南陽市文化センター」としての予算措置はあるか。また、かつてどの程度あったか。

②コロナ禍で多くの観光地が苦しむ中、熊野大社のみは、若い男女カップル、女性グループを中心に日々多くの参拝客を集めております。今や熊野大社は、県内出羽三山に次ぐNo.2の人気神社の地位を獲得しています。この勢いを官民あげて活かしたい。そこで、今の宮内公民館の場所をあらためて南陽からの文化発信拠点「南陽市文化センター」としての整備を考えてはどうか。


③「蔵楽」を今後宮内公民館として使用するとしたら、改修整備等、どうしたことが必要となるか。
以上、よろしくお願い申し上げます。

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1981(S56)年9月発行の『住民活動 No.30』(財団法人新生活運動協会)に〈私の地域づくり論〉として”「自立」への胎動ー地域づくりは一人ひとりの意識と行動の集積ー”という文章を見つけた。そこに「県南総合文化塾」構想があった。今回の質問に関わるのであげておきます。

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「県南総合文化塾」構想
・・・一昨年(S54)の秋ごろから、市庁舎の移転新築が問題になりはじめた。われわれは、宮内から市庁舎が移ってしまうということによってだけでなく、現時点での建設がどれだけ市民サービスの低下、市民負担の増加を招くか、さらには、市財政の破綻をも生じかねないということで猛反対運動を繰り広げた。(われわれの心配は現実のものとなりつつある。)
 しかし、移転決定後は他の諸団体に先がけてただちに、跡地利用をどうするかについての検討を開始し、次のような構想を提示して各方面に訴えつづけてきた。
「県南総合文化塾」構想
                        宮内商工会青年部
 新庁舎建設に伴う、現庁舎跡地利用について、下記のような案を提示いたします。
一、呼称を、公益社団法人「県南総合文化塾」とする。
二、本塾は、地域住民の文化活動の拠点たることを目的とする。
三、本塾は前の目的を実現するため、次のことを行うこととする。
1.生涯学習の観点に立ち、広く地域住民を対象とした種々の講座を常設し、地域住民の自己啓発の場とする。
2.地域の伝統の中で培われてきた生活文化を掘りおこし、失われつつあるもの、一部においてのみ知られているものを、地域の多くの人々に体得してもらい、地域の持ち味を再認識してさらに高めていくための場とする。
3.新たな生活文化の創造を目指した研究、実践の諸活動を、地域住民が中心となって行いうる場とする。
四、前記のことを行うため、次の施設を設ける。
1.講義室 2.実習室 3.研究室 4.資料室 5.談話室 6.宿泊施設 7.その他、本塾の目的をより円滑に達成していくための諸施設。
五、この構想がよりよいものとして具体化していくために、広く論議が起こることを期待する。
 われわれが活動する中で、いつも最後につきあたるのは、人の問題であり、教育の問題であった。「よい環境とは、水や空気がきれいで、緑があって・・・」それはそれで必要条件かもしれぬ。しかし、そこでの人間関係がうまくいってないとしたら、けっして「いいところ」とは言えまい。「住めば都」も、そこにいい人間関係があってはじめていえるのである。「地域づくりは人づくり」と言われるゆえんである。
 われわれは、われわれの地域にある文化的伝統と、教育環境の良さに気づくようになっていた。かつての繁栄の中で培われた文化的伝統、そして教育への高い関心は、商業環境の相対的地盤沈下の中でむしろ保護されてきたといってよい。一部名望家のものではないPTA 活動にもそのことはあらわれている。一方、大きな問題になりつつある、大型店進出に伴う少年の非行化は、われわれの近隣地域においても無縁ではない。
 われわれが、この地域の良さに着目し、それを意識的に育てていくことの意義と、今後ますます増大するであろう生涯教育のニーズとを考え合わせてうちだしたのがこの「文化塾」構想である。「塾」という語には、幕末から自由民権運動期にかけて各地に輩出した「塾」の意味、すなわち、地域住民の自主性への期待と、新たな何かを創造しようとする意気込みをこめている。
 この構想は、宮内地区の各団体からの要望をとりまとめた、社会教育連絡協議会の意見書に盛りこまれて、このほど市当局へ提出されることになった。
 この意見書では、「現庁舎建物を一部改造し、『南陽市民文化館』とすることとし」「『地域づくりは人づくり』の理念をふまえ、宮内地区民のみならず、南陽市民全体の文化活動および相互交流の拠点たることを目指す」という目的を掲げる。そして、「『文化館』の目的を実現するため、地域住民、市当局のみならず、広く市外からの知恵も導入した『市民文化館有効利用委員会』を置き、全国各地との交流をも図りながら、常に一層の内容的充実を目指すものとする。」と述べている。
 われわれは、この文化館をそのの象徴としたい。市民文化館有効利用委員会は、そのたえざるを保障するものとなるはずである。
 「ハードからソフトへ」といわれ、地域づくりそのものが、ソフト志向の意味合いを含んでいる。しかし、言うは易く、行うは難いことではある。行政まかせ、政治家まかせ、他人まかせでは為し得ないことだからである。地域をよくするのは、とどのつまり、ひとりびとりの気持ちの、そして行動の集積である。決して一朝一夕に地域は変わるものではない。とりあえず、いままで走りつづけてきた人間がこれからも走りつづけること、それしかないとわれわれは自分に言い聞かせる。
 ただ、われわれには強い味方がある。「時代」であり、われわれがよくいう言葉で言えば、「世並み」である。具体的には、多くの人々との交流の機会であり、そこで得られる共感の体験である。われわれは、この体験をさらに深いものにしていきながら、地域の未来を切り拓いていこうとしている。自立への胎動1.jpg自立への胎動2.jpg自立への胎動3.jpg

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