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mespesadoさん講義(97)「宇宙の法則」は唯一つ [mespesado理論]

昨日の「mespesadoさん講義(96)見当違いの大西つねきと稲田朋美」を承けたmespesadoさんの議論。今の政治状況についての見事な解明です。
《今までは、政治における意見の対立が、要するに不足する資源の配分の問題だったからこそ、「政治的な正義」とは、自分たちがいかに多くの利益をブン取るかという椅子取りゲームにおいて、自分たちの立場への第三者の賛同者を増やすための「大義名分」に過ぎなかった。だからこそ、このような「正義」は「主観的な正義」だったのです。/でも、今日のように、技術の超絶的な進歩で資源不足が本質的に解消してしまうと、人間の利害というのは、どの人間だって本質的に同じであり、スピリチュアル的に言えば「宇宙の法則」は唯一つなので、そこに「主観的な正しさの相違」というものは無くなってしまう。だから真の意味での「意見の対立」は無くなってしまうのです。》
政治に関わる私に対してよく言われるのが「仲間を増やさねば」ということです。そう言ってくれる人はたいてい私のことを親身になって思ってくれる人です。それなのに私はその言葉にいつも異和感を抱いてきました。今回のmespesadoさんでその異和感の由来がよく納得できました。「仲間(味方)」ができれば「仲間でない人(敵?)」ができるのです。そういう時代ではない、「宇宙の法則」にのっとれば「意見の対立」はないのです。
最近、深田萌絵さんにはまっていて、mesさんの今が旬の「中国共産党の脅威」》の言葉、よく腑に落ちるのですが、それにつけても1年前白頭山(長白山)でなぜ「うらやすのねぎごと」を唱えなかったのかと思っていたところでした。そして今、あらためて昨年書いた長白山行(補)「うらやすのねぎごと」を唱えなかった理由」に納得。さらにそこから亀さんワールドに引き込まれています。→「ツランという絆」http://grnba.bbs.fc2.com/?act=reply&tid=13007953
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583 名前:mespesado 2020/07/21 (Tue) 02:01:25
>>582
 ご紹介いただいた大西さんの弁明ですが、はぐらめいさんが感想を述べておられました↓
https://oshosina2.blog.ss-blog.jp/2020-07-20-1

> 最後にきて「岸信介・安倍総理・昭和天皇」批判、ここで引いてしまい
> ました。大西さんはその前で《この世に正しいも正しくないもないと思
> います。全ては主観です。正しさはそれぞれの心の中に持っておけばい
> いですが、それ持ち出して振り回せば、他の正しさとの戦いになります。》
> と言っています。大西さんは自分の思い込みを振り回して「他の正しさ
> との戦い」に挑もうとしています。

 実は大西さんについては次のような指摘もあります↓
https://twitter.com/cannavinothc/status/1285183898859626496

らぷとる■■Antita野郎Aチーム@cannavinothc
> しかし追い出された大西も資本主義は終わっただの、米軍には出ていっ
> てもらって敵が攻めてきたら9条の精神を守って無抵抗主義を貫こうだの
> 言ってはばからないレベルのゴリ左派なのでその辺どうなんでしょうね。

 この問題については猿都瑠さんがリンクを貼ってくれた大西さん自身の書いた文章には次のようにあります↓

> また、どんな経済政策を取るかによって、国民の資産が例えば他国の軍
> 費となり、たくさんの人を殺すかもしれない。朝鮮戦争やベトナム戦争
> で日本の基地から出撃した米軍がどれだけの人を殺したのでしょう?

> 憲法9条で軍事力の保持を禁止し、国のために戦うというという人が10%
> しかいないというアンケート結果も出る中、自衛隊と在日米軍を容認し
> ているのは、本来我々が自立して向き合わなければならない問題に向き
> 合っていないからではないでしょうか?

> 例えば今言った在日米軍の問題。なぜ戦後75年も経って今だに占領軍を
> 駐留させ、それをほとんど沖縄に押し付け、東京の制空権も奪われたま
> ま、何の疑問もなくいられるのでしょう?日米安保で日本が守られてい
> るからでしょうか?頼りにしているその占領軍は、広島長崎に原爆を落
> とし、たくさんの一般市民の大量殺戮を行った巨大な暴力装置ですよね?
> その暴力に怯え、暴力に頼るということでしょうか?

> その日米安保を通すために、CIAは戦前から政権の中枢にいたA級戦犯の
> 岸信介、これは今の安倍首相のおじいさんですが、彼を釈放し、資金提
> 供をして自民党を作らせ、それがずっと日本を統治し続けていることは
> 周知の事実です。これに対して何故誰も何も言わないのでしょう?そろ
> そろ本当のこと、つまりこの国は全く独立などしていないという真実に
> しっかりと向き合うべきではないでしょうか?その問題に向き合わない
> 限りは、政権交代しても意味があるんですか?

> それからもう一つ、あの戦争を起こした時の最高責任者、昭和天皇がな
> ぜ全く責任を取らなかったのでしょう?彼は後に広島に原爆を落とされ
> たことに関して、「戦争中だったから致し方なかった」と発言しました。
> YouTubeでも見られるのでご興味があったらご覧になってほしい。なぜ誰
> もおかしいと言わないのでしょう?特に政治家の皆さんはとても言えな
> いのでしょうか?

 これを読んで私が感じたのは、大西さんがサヨク思想の持ち主だ、ということよりも(だからこそサヨク系のれいわに加わったのでしょう)、むしろ「感性が古い人だなあ」と思いました。
 だって、この意見って典型的な嫌米、というか、いわゆるDSが支配していた頃の米国に対する反発であり、今のトランプの米国に対する感想としてはかなり「時代遅れ」ですよ。それに外国のことを文句言うなら、今が旬の「中国共産党の脅威」について一言も無いのはあまりに不自然です。そっちの方が喫緊の課題であり、これに対抗するには、幸いにしてDSの支配下ではないトランプの米国で対抗するというのは極めて合理的な判断であるはずなのに「いったいいつの日米関係のことを批判してんの?」という感じです。
 この「感性が古い」という視点で例の「高齢者とリソース」の話を改めて読んでみると、「なるほど」と思える節があります。本来なら技術の進歩でリソース不足を解消できれば究極の選択をする必要がないのに、技術の進歩については次のように主張しています↓

> もし日本人労働者が足りなければ、海外労働者の受け入れ、またはAIや
> ロボットによる介護などの選択肢もあるかもしれませんが、それでも結
> 局は、それも含めた総労働力の配分となり、介護以外も食糧、エネルギ
> ーの自給や一定の外貨の確保、その他皆さんの生活に必要なあらゆる仕
> 事がある中で、どこにどれだけ配分するかというのは、一面だけを見て
> は決められない難しい国家経営上の決断になります。 

 ここで「それも含めた総労働力の配分となり」とは実に不思議な表現です。人間の労働力と機械による労働力を一緒にして「総労働力」などと言っていますが、機械による労働力は青天井であり、これを合わせたら、資源の有限性は考えなくてもよくなるはずです。つまり、この、今回問題となった分野の話ですら、技術がこれだけ発展した「現在」の話になっておらず、まだ技術がそこまで行っていなかった頃の「古い時代」の感性で考えているようにしか思えません。
 そして、この「感性の古さ」について、実は一番問題だな、と思ったところが別にあるのですが、長くなったので稿を改めます。                              (続く)


584 名前:mespesado 2020/07/21 (Tue) 02:04:48
>>583
 私が、大西さんの考え方で、一番「感性が古いな」と思った箇所は、意外に思う人もいるかもしれませんが、実ははぐらめいさんも引用している次の箇所なのです↓

> そもそも人に優劣などないように、この世に正しいも正しくないもない
> と思います。全ては主観です。正しさはそれぞれの心の中に持っておけ
> ばいいですが、それ持ち出して振り回せば、他の正しさとの戦いになり
> ます。

 ↑この中で前半の「優劣などない」も「正しいも正しくないもない」(正確に言うと「善悪などない」というべきですね。1+1=2みたいな「正しさ」なら存在しますから)というのはよいのですが、その次の「すべては主観です」は違うと思います。政治的な問題について、ものの考え方が人によって違うから、それを尊重しましょう、というのは、実は「古い考え方」だと思うのです。これは、昔のように、「自民党」と「社会党」が、「資本家」と「労働者」それぞれの利害を代弁していて、どちらも「支持者にとっては正しい」主張をしていた時代なら「正しさとは主観である」でよいですが、今の政治はどうなっていますか?「自民党一強」でしょう?野党は存在意義が無くなっているではありませんか。これは今の野党がだらしがないからだ、というのは実は原因と結果が逆だと思います。つまり自民党政治に対する真の対立軸が存在しないからこそ、野党は意味の無い揚げ足取りしかできなくなっていることの現れなのです。また、経済問題でも、一見すると「緊縮」対「反緊縮」の対立に見えますが、前者は単に貨幣の理解を間違っているだけ、つまり1+1=3みたいな意味で「正しくない」ので、この対立は「絶対的な正誤」に気付かない人たちによる「見かけ上の対立」であって、「単なる主観の問題」ではありません。こういった「主観的対立軸の解消」は、これらの問題だけでなく、ありとあらゆる分野に見られるようになってきたのではないでしょうか。
 これは、今までは、政治における意見の対立が、要するに不足する資源の配分の問題だったからこそ、「政治的な正義」とは、自分たちがいかに多くの利益をブン取るかという椅子取りゲームにおいて、自分たちの立場への第三者の賛同者を増やすための「大義名分」に過ぎなかった。だからこそ、このような「正義」は「主観的な正義」だったのです。
 でも、今日のように、技術の超絶的な進歩で資源不足が本質的に解消してしまうと、人間の利害というのは、どの人間だって本質的に同じであり、スピリチュアル的に言えば「宇宙の法則」は唯一つなので、そこに「主観的な正しさの相違」というものは無くなってしまう。だから真の意味での「意見の対立」は無くなってしまうのです。
 そういうわけで、大西さんは、この「(政治的な)正義は主観的や否や」という、一番根幹の問題について「感性が古い」としか言いようがありません。そういう感性のままで政治家になって、はたしてうまくいくのか?とどうしても思ってしまうのです。                             (おしまい)

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