SSブログ

mespesadoさん講義(62)「日本語の持つ霊性」 [mespesado理論]

mespesadoさんの議論が、新しい視野を開かせてくれました。

mesさんの議論の前提に、堺のおっさんの《ヘーゲル的に言えば、グローバリズムの止揚は単なる国家主義への回帰ではなく、まったく別のものへと変容していかざるを得ないだろうとの視点です。情報も、お金も一瞬で世界を駆け巡る。そんなグローバリズムなくしてグローバリズムの否定は起きえない。したがって、物質から精神へと言う内容では語りきれない変化を起こすと。それが何かがわかれば、簡単なのですが…まだまだ整理しきれていません。現状はそんなところです。》260)という問題提起に対して、亀さんが《小生は上掲の拙記事で、その変化を「霊性」と表現しました。霊性とは、単なる精神世界を意味するだけのものではなく、人類全体をも巻き込む、大きな大転換(脱皮)へと我々が向かうための、一種の〝エンジン〟とでも云うべきものです。この流れは、最早DSが現在行っている小細工(流れを止めようとする悪業)程度では、とてもではありませんが防ぎ止めようのない、巨大な流れになりつつあります。》261)と応じられた議論があります。mesさんはこの議論に触発されて発言します。そして、mesさんの疑問に凍帰行さんが応えます。この辺のやりとり、放知技板の醍醐味、ゾクゾクしました。そこから自分なりにたどり着いたのが、増田嗣郎という人のサイトです。http://www.gokanbunseki.com/index.php?%B8%EC%B4%B6%A4%CB%A4%C4%A4%A4%A4%C6%A1%A1%CA%E4%B9%D6 増田氏の関わる本への感想に対する返信なのですが、相手を意識した文章だけに、増田氏の考えがものすごくよく伝わりますので下に転載させていただきます。私にとって、ほんとうに重要な新しい視点です。気づいたら、筆者増田嗣郎氏の会社の社長が黒川伊保子という人。その著書『英雄の書』を読んで記事にしたことがありました。https://oshosina.blog.ss-blog.jp/2018-05-04-2

*   *   *   *   *

264:mespesado :2020/05/22 (Fri) 12:25:55
『英語化は愚民化』刊行記念 施 光恒さん×中野 剛志さんトークショー
https://youtu.be/Eb6JF3fjmaQ

 ↑5年前の動画。

 言語学者でなく政治学者が書いた言語の本の紹介イベントだが、実業や学問の世界でよく言われる「英語で書くだけじゃなくて英語で考えよ」という意見に対する批判から始まって、「ダジャレを言う外国人はいるけれど詩や文学まで日本語で書ける外国人はあまりいない」ことなどを挙げて、母語の大切さを訴える話。当時はまだグローバリズムが全盛期な時代でもあった。
 昨今のアンチ・グローバル化の流れと呼応する話で、「西洋かぶれ」離れの一環であるが、とにかく母国語の大切さを訴える話。
 あれから5年が経過し、かつてのようなグローバル化マンセーに同調する人たちもだいぶ少なくなり、そしてこのコロナ騒ぎで逆向きの流れが始まりつつある(それでもまだ大学の9月始まりとかで外国出羽守が息を吹き返したりしているが)。
 ところで、この対談では、汎言語的というか、一般的な「母国語の重要性」の話に限定されている(だから母国語を大事にするフランス人のことを褒めている)のだが、実はまさに我々の「日本語」が持つ「言霊性」の特殊さというものにも目を向ける必要があり、この5年間でようやく「英語マンセー」からの逆向きのベクトルが出てきたとうだけで終わらず、まさにこの「日本語の持つ霊性」にも目を向ける方向性が出てくるとよいのだが。
 世界の言語は、もともと「古層」ともいえる古代言語があり、その後「印欧祖語」のような、言語の「新勢力」が登場して、それまでの「古層」の言語が世界中で駆逐されてしまった。だから、世界中の大陸ではこの「新参者」の言語ばかりになってしまって、「古層」の言語は山奥とかにわずかに残るだけになった。ところが「日本語」は、まさにこの「古層」に属する言語の特徴を備えており、島国だったがゆえに「新参言語」に駆逐されることなく残った貴重な言語なのだ、という内容を詳細な分析で解説したサイトがあったはずなんだけど、どう検索したら再発見できるのかわからず、リンクを貼ることができない。クヤシイ!

268:凍帰行 :2020/05/22 (Fri) 16:06:15
>264 mespesadoさん の仰っておられるのは、
・・ところが「日本語」は、まさにこの「古層」に属する言語の特徴を備えており、島国だったがゆえに「新参言語」に駆逐されることなく残った貴重な言語なのだ・・・・、

http://theory.gokanbunseki.com/index.php?%BC%EA%BB%E6%A3%B3
 語感言語学 言語学試論 の 内容に近いかも。

*   *   *   *   *

押野 岬様
 メール拝読させていただきました。二冊(日本語はなぜ美しいのか (集英社新書) 語感対決77―ことばのイメージは音で決まる)もお読みいただき、貴重なご意見まことに有難うございました。
 それぞれの言語が、それを母国語とする人々にとって、もっとも美しいだろうとのご主旨、もっともです。私も同感です。ただ、基本的なところで誤解があるようですので、ご説明させてください。
私たちは、日本語だけが美しく他の言語は美しくないとは思っていません。この本では、そもそも「美しい」とはどういうことかの定義も、表面、していません。この本で言っていますのは、ソクラテスの定義にあてはめると、日本語が最美になると言っているのです。ソクラテスの定義は「日本語はなぜ美しいのか」のP122に引用していますが、これは、「プラトン全集2 クラテュロス テアイテトス」(岩波書店)-P156 「・・・ 大多数の名前が{事物に}似ている -----つまり、ふさわしい---- ばあいには、その言明はおそらく能うかぎりは最美のものとなるだろうし、・・・」からの引用です。ここでソクラテスはものの名前は似顔絵のようなもので、そのものの本質を音で表現したもので、似ているものもあればあまり似ていないものもある。大多数の言葉がものの本質をうまく表している言語が最美の言語であるという意味のことを言っています。
 また、P132には、デルタ(D)とタウ(T)は・・・、舌を圧縮し{歯の裏側へ}押しつける作用をもっているので、束縛と静止を模倣するのに役立つ・・・とも言っています。これこそ発音体感ですよね。他にS,R,L,I、O などにも言及しています。
 ちなみに、私たちは音に意味があるとは言っていません。発音体感にもとづく色々な体感のかたまり(クオリア)があるとの立場です。そして、多分多くの方が感じておられるでしょうが、私たちが分析した結果でも、音の感じとそのものが非常によく合っているものが日本語、特に大和言葉の中にたくさんあります。この点日本語が際立っています。S でいえば、さらさら、さわやか、さっぱり、すっきり、するり、すくすく ・・・ きりがありませんね。そこで、もしもソクラテスがいま生きていたら、日本語、大和言葉が最美であると言うだろう、という意味です。もちろん、クール、スムース、フェアーなど、他国語の中にもピッタリのものもたくさんあります。(だから、われわれ日本人もそのまま使っているのですが)。一方、日本語の中にも、他言語から導入したもの、分割あるいは合成したもの、などで意味が優先して語感から遠ざかったものも多くあります。「美人」など美しい音でしょうか。「経済」など語感とはあまり関係ありませんね。
 「日本語はなぜ美しいのか」では、日本語が他の言語とは大いに違うとも言っています。しかし、だから優れているとは言っていません。日本語は数少ない母音中心の言語(開音節語)であり、それ故、心情を表現しやすいと私たちは考えています(反対に論理・概念は表現しにくい)。母音はアナログ(自然音)で、子音はデジタル(強制音)ですものね。日本語の母音特徴については、角田忠信教授の「日本人の脳」がおもしろいですよ。(すこし古いですが真実は変わらないですものね)
 言葉の前に音声があって、言葉より音楽が先ではとのご主張ですが、これは議論の分かれるところで「歌うネアンデルタール」(スティーヴン・ミズン)がおもしろいですよ。個体の発生は種の発生を繰り返すとの説がありますが、赤ちゃんは言葉より先に歌いますかね。ミズンは歌と言葉の前段階があると言っています。
 貴方は S の音にさわやかさを感じますか。感じるとしたらそれはなぜですか。意味ですか、約束事でしょうか。約束事なら、サラサラとカラカラが逆であってもいいわけで、「キミの髪は、しっとりカラカラしていて、気持ちいいね」もありえたのでしょうか。普通の人なら、違和感を覚えるのではないでしょうか。S にさわやかさを感じるのは、K に硬さや乾いた感じを感じるのは、S や K を発声するとき、口の中でそのように感じるからだ、というのが私たちの理論の中心です。(私たちの理論の前に大きな壁があります。語感を感じない人たちがいるということです。感じないゆえ、そんなものは無いと思っている人たちがいるということです。バカの壁ではなく感性の壁です。壁の向こう側には豊かな世界があるということを考えてもみたことのない人がいるということです。)
 脳の中である言葉を発声したとき発火するのと同じ場所で、その言葉を聞いたときも、その文字を読んだときも発火する場所があります。発声したときの体感が脳に記憶されていて、聞いたときも読んだときも、あるいは、頭に思い浮かべたときにも再生されるのです。意識に上らなくても、潜在意識で、サブリミナルに再現されているのです(前頭葉にあるミラー細胞なども関係しているのでしょうね、もちろん、大脳辺縁系も。)。
もし、貴方が S の音にさわやかさを感じられないようでしたら、貴方のまわりの若い女性に聞いてみてください。S にさわやかさを感じるかどうか。K に硬い感じ、乾いた感じを感じるかどうか。あまり率直に告白して彼女たちにばかにされないようにしてください。ほんとうに貴方が感じられないようでしたら、それは貴方が左脳だけを使い、長い間右脳を封印してきたからかもしれません。ワーズワースの詩を楽しめるならそんなことはないでしょうが。
 「あっはっは・・」と「えっへっへ・・」は同じように聞こえますか。やはりお役人様にとりいる悪徳商人は「えっへっへ・・」でしょう。「いっひっひ・・」は高利貸しかな。「おっほっほ・・」はおつにすました奥方でしょうか。賂を懐にしたお役人は「うっふっふ・・」かな。これらは、ただ A と E と I と O と U が違うだけです。これも約束事? それなら、どうしてそのように決まったのでしょうか。偶然? 私は必然だと思います。
 私たちは、語感の正体は、口腔内物理効果の体感であるとの理論立てをしました。では、その検証はどのようにしたのか、貴方の言う統計的処理、あるいは、二重盲検ですが、私たちは、分析結果をオノマトペでチェックしました。日本語には約2400のオノマトペ、すなわち、擬音語、擬態語があります。そしてわれわれ日本人は日常会話にこのオノマトペを非常によく使います。このオノマトペこそ語感そのものですよね。この約2400のオノマトペと私たちの分析結果が矛盾しないかどうか検証しました。これは一種のアンケート調査です。一億以上の日本人が何世代にもわたって使ってきたオノマトペは、その人々に支持されてきたわけです。フィーリングに合わないオノマトペは使われなくて廃れてしまいますからね。
 先にご紹介した角田教授の理論はfMRIで追検できそうですね。誰かやってくれませんかね。語感の違い、情感の違いの検出はfMRI,MEGなどでもまだ無理のようです。
 長々と書いてしまいました。できるだけ多くの方に私たちの理論を理解していただきたいからです。いろいろのケースを想定して、書きましたので、思い過ごしの部分も多々あろうかと思います。 「そんなもん、わかっとる!」とお思いかもしれません。お許しください。理論的にご不明の点がありましたら、ご照会ください。
   ㈱感性リサーチ 上席主任研究員 増田嗣郎

押野 岬様
  一つだけ言わせてください、とのことでしたので、私にも一つだけ言わせてください。勿論、議論をするつもりはありません。分かってもらいたいからです。
 根本的な誤解があるようですので、今一度説明しますと、 
私たちはソクラテスの説を証明しようとしているのではありません。 又、日本語が美しいということを主張し、それを立証するのが目的ではありません。
 この本で言いたかったことは、
ことばの語感は発音体感からきていること、と
日本語には、その語感とそのことばが表そうとしているものの感じがよくあっているものが多いということです。
 ことばが示しているものと、そのことばの語感がよくあっているかどうかは、科学的証明の問題ではなく、それを貴方が感じるかどうかということです。似顔絵のうまい下手は科学的分析によって分かるのではなく、みんなが、なるほど、そうそうと思うかどうかにあります。むしろ実物の原寸比率にあわせた似顔絵よりも、その人の特徴を誇張しデフォルメした似顔絵のほうが、その人らしく思われるのではないでしょうか。ことばも同じです。
 ことばの音の発音体感については、ソクラテス以外にも、 幸田露伴「音幻論」、江戸時代の国学者鈴木朖「雅語音声考」-言語の写生起源説―などで論じられていますが、僧先覚(鎌倉時代)、鴨真淵、本居宣長、橘守部なども、それらしいことを言っています。
 サラサラが流体か粉体かということですが、これは考え方の順序が逆です。小川の流れがあって、乾いたきれいな粉があって、その状態を表すのにサラサラがぴったりだったということです。サラサラということばの音のクオリア、その切り口によって、小川の流れにぴったりであったり、粉の状態にぴったりであったりするのです。サラサラが意味を持っていて、一義的に何かに結びついているのではありません。サラサラ、すなわち、音のかたまりはクオリアであって、多義的で切り口によって色々に見えるのです。(何にでも見えるということではありません)。カラカラも乾燥した状態も表しますし、中が空洞の状態、あるいは、軽やかな状態も表すことができます。
 私たちは、サブリミナルインプレッションの脳内機序を少しでも解明したいと思っています。ただ、少なくとも、脳の中の小さな神には逃げたくありません。
   

㈱感性リサーチ   増田嗣郎



nice!(0)  コメント(0) 
共通テーマ:日記・雑感

nice! 0

コメント 0

コメントを書く

お名前:
URL:
コメント:
画像認証:
下の画像に表示されている文字を入力してください。