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「出雲と大和」展(東京国立博物館)(3) [歴史]

とにかく大量の古代遺物に圧倒された展覧会だったが、その物量のすごさの中で、ほっと心に残った二つ。

見返りの鹿.jpg一つは「埴輪 見返りの鹿」(61-2)。《立派な角を生やした鹿が左後方を振り向いた瞬間を写実的に表現した埴輪。頭部から首、背中、尻を経て左足の一部までが復元されているが、前足などは判明していない。角は別作りになっていて、ソケットにして頭頂部に差し込まれており、取り外すことも可能になっている。特に頭部の表現は精巧で、鼻の穴の位置が左右で傾き、顎の上下をわずかにずらしているのは、草を食んでいる様子を表わしているか。切れ長のかわいらしい目をしているが、ぴんと立てた耳は、あたかも人の気配に慌てて振り返ったかのような緊張感がみなぎる。/この埴輪が発見された平所遺跡は、昭和五十年(一九七五)に発掘調査された埴輪専用の窖窯(あながま)で、窯体の残存長は約五·八メートル。窯の内部からは大量の形象補輪片が出土しており、特に焼成部付近では馬、家形埴輪の破片が床面の全面に堆積していた。これらの埴輪片は無秩序に散在しており、窯詰めされた状況とは思えないことから、操業終了後に破砕して一括廃棄されたと考えられている。また、非常に精巧な埴輪が生産されているにもかかわらず、ここで作られた埴輪の供給先となる古墳が判明していない。》高さが93.5cmだからかなり大きい。そのリアルさは埴輪のイメージをはるかに超えるもので驚かされた。解説の太字部分、ここを読んであらためてすごいと思った。

鰐淵寺観音菩薩像.jpgもう一つは、島根・鰐淵寺(がくえんじ)の「観音菩薩立像」(95)。像は頭頂から、天衣や瓔珞(ようらく)も含めて足先まで一鋳で造る。頭上に単(たんけい)を結い、冠帯に三面頭飾をつける。単の正面に如来坐像をつける。右手は手先を失っているが、屈臂(くっぴ)して胸の高さに掲げ、左手も屈臂して腰の高さで瓔珞を執る。腰を大きく像の右側に捻り、上半身を後ろに反らせ、重心を右足にかけて立つ。台座は失われている。顔は肉付きよく丸顔の童顔である。両肩に垂らした垂髪は先端を巻き上げるいわゆる蕨手型垂髪とする。丸みを帯びた肉付き豊かな顔から制作期を奈良時代初頭まで降る意見もあるが、法徳寺観音書薩立像 (奈良)同様に瓔珞を手に執る形式や、蕨手型垂髪などから飛鳥時代末とみておきたい。やや大げさに見える腰の捻りや上半身の反りも、不自然なところはなく、像の美しさを出すのに効果を発揮している。No.94の観音書薩立像の存在に隠れてあまり目立たないが山陰地方を代表する金銅仏である。》大きさは42.5cmでそう大きくはないが、その顔の凛々しさと、なんといっても少し突き出した腰の捻りで強く印象づけられた。図録の写真では腰の捻りがわからないのが勿体無い。「鰐淵寺名宝展」ポスターの写真です。→

その他、日本最大という奈良桜井市のメスリ山古墳出土の高さ242cm円筒埴輪にも驚いた。

日本最大の埴輪.jpg

呉公.jpgあげればキリがないが、四体の伎楽面にも見入ったし、石上神宮の御神宝七支刀を拝することができたのもありがたかった。

2時間ぐらいの時間を予定して観覧されるのがいいと思う。1時間半では忙しかった。

「出雲と大和」ポスター.jpg

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