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「出雲と大和」展(東京国立博物館)(1) [歴史]

「出雲と大和」山新.jpg6日に東京の叔母に行く用があったところに、4日の山形新聞で「出雲と大和」展が東京国立博物館であることを知った。これは必見!ということで一汽車早めて朝イチの新幹線で出かけた。積雪10センチくらい、今年初めての冬らしい朝で福島あたりまで雪が積もっていたが、大宮あたりではきれいな富士山を望むことができ、上野公園にはもう何本かは桜が咲き、国立博物館本館前の池の周りにはチューリップが咲きそろって、風は冷たいがすっかり春のようだった。

上野公園の桜のコピー.jpg國立博物館前.jpg

開館まもない時間にもかかわらず、もうかなりの人出。ゆうに1キロを超える図録(342頁 厚さ2.3cm 重さ1436g/2500円)からもわかるが、とにかくよくこれだけ並べたものだと驚嘆させられる展示だった。先の予定があるので駆け足気味、橋爪功さんの音声ガイドを聴きながらの1時間半、とても消化しきれない。そこであらためて図録をひもといてみる。冒頭の「ごあいさつ」にこうあった。

《令和2年(2020)は、わが国最古の正史『日本書紀』が編纂された養老4年(720)から1300年という記念すべき年です。その冒頭に記された国譲り神話によると、出雲大社に鎮座するオオクニヌシ(オオナムチ)は「幽」、すなわち人間の能力を超えた世界、いわば神々や祭祀の世界を司るとされています。一方で、大和の地において天皇「顕」、すなわち目に見える現実世界、政治の世界を司るとされています。つまり、古代において出雲と大和はそれぞれ「幽」と「顕」を象徴する場所として、重要な役割を担っていたのです。》(ごあいさつ)たしかに、神道天行居「信条及び心得」の(四)は「大国主神様は現幽両界の御規則確立以来、幽界を主宰(しろしめ)す大神様であらせられることを敬信いたしまする」

しかし、図録を最初の論文からずっと目を通しても、「幽」と「顕」を象徴する場所としての「出雲と大和」は得心しにくい。ただ、会場の何箇所かで動画が放映されていたが、時間があればもっとゆっくり見れたのにと後悔したのが「出雲国造神賀詞(いずもくにのみやつこかむよごと)奏上儀礼」のコーナー。《律令制下に出雲国造は、上京して太政官で国造就任の儀礼を行い、その後一年の潔斎の後、再び上京して天皇に「神賀詞」を奏上する儀礼を行なった。諸国の国造のなかで、王権・天皇と直結するこうした儀礼を伝えるのは、出雲国造の特徴である。》(佐藤信東大名誉教授「古代の出雲と大和ー『日本書紀』成立一三〇〇年」)と巻頭論文にあり、さらにコラム(5)に、《それは、まさに出雲国造の祖先神であるアメノホヒがオオナムチを説得して国譲りをさせ、その結果を高天原の神々に復命した神話に対応する。神賀詞の奏上次第をこのように考えるならば、この儀礼は、出雲国造の祖先神が行なったことを忠実に再現した神話劇と考えざるを得ない。》そしてこの時、出雲国造は天皇に神宝としての玉を献上する。長寿をあらわす白玉、若さをあらわす赤玉、瑞々しさをあらわす青玉である。出雲国造神賀詞奏上儀礼を分析することで、出雲国造の存在意義が浮かび上がってくる。出雲国造は、単なる出雲一国の国造ではない。ましてやかつて列島の地域社会に存在したヤマト王権の国造の代表でもない。出雲国造は天皇の聖性を補完する存在だったのである。》(森田喜久男「天皇の前で語られた神話ー出雲国造神賀詞奏上儀礼」)なるほど天皇の聖性を補完する存在」としての出雲の意義、「幽」の象徴としての出雲とはそういうことか。つまり、ヤマト王権の目には見えない部分を支えていた。(つづく)

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